2017年10月17日

中東の人々は言う、「日本はドリームカントリー」と。

 雨の日が続いていますが、いかがお過ごしでしょうか。

 雨が続く日もあれば、カラッと晴れる日もあり、いいこともあれば悪いこともあり、

 色々なことが起きる世の中ですが、私たちは当たり前のものがいざ無くなってみると、その人や物の有り難さに気づき、それらの恩恵を、あとから知ることになります。

 さて、仏教では、四恩(しおん)という四つの恩があります。

 一つ目は、天地の恩。言うまでもありませんが、天地の恵みがなければ生きていくことはできません。雨や太陽、大地や海など、あらゆるものが、相乗(そうじょう)し、和合(わごう)し、その恩恵の中で私たちは生命を維持しています。
 
 とあるテーマパークで、「もしも月がなかったら」というシアターを見たことがあります。もしも月がなかったら、地球には潮の満ち引きや四季もなく、常に強風が吹き荒れていて、背の高い動植物は存在できなかったそうです。つまり地球は、偶然できた月との絶妙なバランスによって、水と緑に恵まれた豊かな状態が保たれているというのです。

 二つ目は、父母の恩。これも言うまでもありませんが、ご先祖がいなければ今の私はここにはいませんし、この正翁寺のホームページを見ていることもありません。ご先祖が出会っては生まれ、生まれては死んでゆく中で、命のバトンが脈々と受け継がれ、、私たちにつながってきます。ただし、生まれてきても、世話をしてくれる人がいなければ、生きていくことは困難を極めます。

 生まれたばかりの赤子は、自分で食べることも、排泄して汚れた体を自分で洗うこともできません。世話をしてくれる人の恩恵で生命が保たれ、成長します。

 三つ目は、社会の恩。小さな生命が誕生した時点で、まず病院のお世話になります。病院の先生、看護師、診察する機材や空調設備。さらには病院を建てることを企画した市町村、それを実現させた建築業者、それに関わる人たちを育てた学校等々、多くの社会の恩恵の中、おぎゃ〜と生まれてきます。

 さらに社会の恩恵は、死ぬまで続きます。生きていくには食べていかなくてはいけません。食べ物を生産してくれる農業、漁業、、畜産業の方々。それを運んでくれる流通業者、さらにそれを運ぶ自動車、自動車が走る道路、エンジンを動かすための燃料。そして運ばれた食べ物を管理して売ってくれるスーパー等々、安定した社会は、私たちが生きるために必須です。

 また、電気やガスや水道。警察や消防や学校。電車やバスや宅配便等々。お世話になっている社会の恩恵は、数えるときりがありません。

 特に、銃を持たずとも暮らせる社会は、国土の恩恵といえます。自分の目的は妨害されることなく、当然のように達成できます。会社に行く、学校に行く、買い物に行く、海へ行って、そして当たり前のように帰ってくる。目的が妨げられる状況はほとんどなく、その人次第で目的は達成されます。

 「誰の世話にもならねえ」という人が稀(ま)れにいますが、この因果関係を一つ一つ考えてみますと、何の世話にもならない人は世界中探してもどこにもいませんし、過去にも未来にもそのような人はいないでしょう。

 このような因果関係を知ることを、仏教では「知足(ちそく)」といい、字のごとく、足ることを知るという意味ですが、足りていることに気づく。そして様々な恩恵を自覚せよ。と、ちょこちょこ顔を出す不満足な心を、やさしく収めてくれます。

 夏の終わりにたまたま聞いていたラジオから、戦場カメラマンと言われている渡部(わたなべ)陽一さんが、ゆったりとした口調で、こう語っていました。「中東の人たちに、日本のことを話すと、皆さん何て言うか知っていますか。皆さん日本のことを『ドリームカントリー』と言うんです」と。

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(京都「竜安寺」にて撮影)

 この何でもそろっている日本において、あと何が必要か。さらなる技術の進歩か。宇宙の開拓か。いや、せっかくいただいた自分の生命を、ととのった生活習慣や健全な食事で、よく調えていく。その調った自分自身を世に活かしていくことが、自分自身も救われ、他をも救っていく、最上の道であり、これを四つ目の「仏(ほとけ)の恩」といいます。

  水道をつくる人は水をみちびき、
  矢をつくる人は矢を矯(た)め(※)、
  大工は木材を矯め、
  賢者は自己をととのえる。

  (『ダンマパダ・第80句』中村元(はじめ)訳)
  
※「矯(た)める」…曲がっているものを伸ばしたり、まっすぐなものを曲げてととのえること。矯正(きょうせい)する。

 
posted by 正翁寺 at 17:40| 日記

2017年09月22日

死を自覚することで、かえって「生」が輝いてくる

 お彼岸が明けて、風や虫、遠くに見える景色など、秋らしくなってきましたが、皆さまいかがお過ごしでしょうか。

 さて、あの東日本大震災から6年が過ぎました。あの時の印象は、皆さまの状況、環境などで、いろいろな感じ方があったことでしょう。ただその中でも一つ、共通していたことがあります。それは、平穏な日常が一瞬にして変わってしまったことです。

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(2011年5月、宮城県奥松島にて撮影)

 震源地に近い地域はもちろん、関東にも影響がありました。電車が止まり、信号機も止まりました。そしてガソリンの供給がなくなり、コンビニの棚は品薄になってしまいました。電気の供給を制限するために計画的な停電がありました。そして、知っている方が亡くなりました。

 当たり前のものが、いざ無くなってみると、その有り難さに初めて気づきます。

 これが仏教でいう、「無常観(むじょうかん)の覚(さと)り」です。何も、僧侶でなければ覚(さと)れないわけではありません。小さな子から大人まで、日本中皆さまが覚りました。さっきまでの平穏な日々は、実は有り難かったんだと。そして明日が必ずある保障なんて実はどこにもないことも。

 無常(むじょう)の法則は、環境だけではなく、私たち自身にもにも当てはまります。

 葬儀の時、亡くなった方は、全身をもって最後のメッセージを発します。「皆さんもいつか、こうやって亡くなるんだよ」と。これを自分のことのように受け入れる方は、そう多くはないでしょう。
 
 例えば、一週間後に死んでしまうことが分かったとします。すると、どうでしょう、一日一日をムダに過ごすなんてことはしないでしょう。限りある時間を大切な人に使うのではないかと思います。いつかはやってくる死、これを自覚した時、「今」を大切にせざるを得なくなるはずです。

 最後に、高見順さんの詩を紹介して終わります。
 

『電車の窓の外は』高見順

電車の窓の外は

光にみち

喜びにみち

いきいきといきずいている

この世ともうお別れかと思うと

見なれた景色が

急に新鮮に見えてきた

この世が

人間も自然も

幸福にみちみちている

だのに私は死ななければならぬ

だのにこの世は幸せそうだ

それが私の心を悲しませないで

かえって私の悲しみを慰めてくれる

私の胸に感動があふれ

胸が詰まって涙が出そうになる(『死の淵より』)

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自分の死をしっかりと自覚したとき、

世界は輝いて見えて、生かされていることの喜びに気づく。

そして、本当の生き方とは、と考え始める。


 
 




 
posted by 正翁寺 at 17:20| 日記

2017年06月19日

爪が伸びると切るように 欲の皮も 時々切って 捨てねばならない

 仏教では、この「欲望」は放っておくと、どんどん伸びていき、心を患(わずら)わし、悩ます結果となってしまいますよと教えます。まるで、木を枯らすツルを放っておいたら、いつの間にか巻き付いて樹木が枯れてしまうようなもの。

 このやっかいな欲望を、定期的に剪定(せんてい)する方法、つまり、苦しみの原因を摘んでいく方法が「八正道(はっしょうどう)」という、八つの「人の道」を歩んでいくことですよと、お釈迦さまは説かれました。

 八正道は、文字どおり八つの道からなります。@正見(しょうけん・適正な見解)、A正思(しょうし・適正な分別)、B正語(しょうご・適正な言葉)、C正業(しょうごう・適正な行為)、D正命(しょうみょう・適正な生活)、E正精進(しょうしょうじん・適正な努力)、F正念(しょうねん・適正な心構え)、G正定(しょうじょう・適正な心の統一)。
 
 すべてに「正」の字が付き、すべての訳に「適正な」とあります。お釈迦さまの教えの原点は「中道(ちゅうどう)」です。欲望のおもむくままの快楽主義でもなく、不眠、不休で断食(だんじき)するような苦しい修行でもなく、両極端を離れて、自分を程々に、適正に制御(コントロール)する八つの道が、苦しみの原因を摘み取る唯一の方法なのですよとお示しです。

 A「正思(しょうし)」〜G「正定(しょうじょう)」を習慣化して、自分になじませていきます。そうして@「正見(しょうけん)」の状態に近づけて、悪い束縛から少しずつ解放させていきます。これがお釈迦さまと重なった正しく、安らかで、いきいきとした生き方となります。


 @正見(しょうけん)…苦しみの原因をよく観察して、原因と結果を明らかにする、迷いの雲が晴れた見解。
   ↑
 A正思(しょうし)…悪い欲望が起こることを恐れ、怒りやねたみや恨みによる争いをしないように思念(しねん)する。

 B正語(しょうご)…嘘や両舌(りょうぜつ)、悪口や綺語(きご)などによって起こる災いがないよう、ことばを慎(つつし)む。

 C正業(しょうごう)…殺生(せっしょう)、盗み、邪婬(じゃいん)など、行いを慎む。

 D正命(しょうみょう)…怠惰(たいだ)・歓楽におぼれた生活、過酷な生活、邪な生活を捨てて、道理に適(かな)った生活をする。

 E正精進(しょうしょうじん)…悪心が起きぬよう、善心が起きるように、善心が起きたら増長するように努力する。

 F正念(しょうねん)…身心の平静を常に心がける。常にお釈迦さま(又は仏さま)を念じる。

 G正定(しょうじょう)…行動と思考を統一させる。坐禅。

 いかがでしょうか。突然すべてを変えることは難しいでしょう。年齢、環境、性別などそれぞれの状況の中で、ゆっくりと、一つずつ、着実に中道に近づけていきましょう。大人になってからお箸の使い方を直すのが苦痛なように、小さな頃から少しずつなじませておくと簡単かもしれません。

 苦しみの原因は、伸びきった欲望です。お釈迦さまは、欲望を捨て去れとは説いていません。欲望に執着してしまうと、迷いや惑(まど)いが生まれるから、その「執着を制御」しましょうとお示しです。時々、坐禅をしたり、法話を聞いたり、あるいは体を動かしたり、静かな自然環境でのんびり過ごしたり、定期的に欲望を剪定をして、心を軽やかに、安楽にいきましょう。

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【参考文献:『仏典のことば』 田上太秀】


 
posted by 正翁寺 at 17:17| 日記

2017年03月29日

世のために 学問する

 学問って自分のためにするものでしょう?

 さて、仏教に「利他(りた)」という教えがあります。

 利他とは、他に利益や幸福を与え、救済につとめることをいいます。

 曹洞宗の開祖(かいそ)、道元禅師(どうげんぜんじ)は、「船を置いたり、橋を架けるのも利他の行いですよ」とお示しです。

 そうです、お仕事も利他の行いなんです。

 『おれは誰の世話にもならねえ』と言う方がいますが、よくよく考えてみますと、私たちは様々な社会の恩恵にあずかっています。

 まず始めにオギャーと生まれた時点で、すでに病院やお医者さんのお世話になっている。

 電車もバスも船も、水道もガスも電気も、消防も警察も学校も、農業も漁業も畜産業も、郵便も道路もスーパーも…

 これらが無い世の中を想像してみて下さい。考えられないでしょう。すべてのお世話になっています。

 お仕事は、利益を追求すると同時に、世の中に利益や幸福を与えています。

 いま世の中に起きている深刻な問題は多様にあります。

 例えば、最近は夏が冬よりも長くなってます。その影響で毎年5月に行ってきた草刈りは、4月にやらざる得なくなってしまいました。それにともない海水の温度は上昇し、台風が大型化しています。また、一度に降る雨の量は、極端に多くなってきています。と同時に北極の氷はどんどん溶けていっています。

 どうぞ、点数を取るだけの勉強、親に怒られないための勉強もいいですが、世の中を救うための勉強を、明るく前向きに取り組んでいただきたい。そう願います。

 「情けは人のためならず」ということわざがありますが、

 地域の豊かさ、国の豊かさ、そして地球環境の豊かさは、廻り廻って自分に、さらには子孫に返ってきます。

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posted by 正翁寺 at 14:24| 日記

2017年02月19日

世のために 自己を調(ととの)える

 世のために、自己を調える。

 いやいや、自分のために。お金を稼ぐために。家族のために自分を調えるんじゃないの?

 そのような声が聞こえてきそうですが、さて、お釈迦さまは、「あらゆるものごとは、みな縁起(えんぎ)している」と説かれました。

 縁起って、「縁起がいい」とか「縁起でもない」とか、普段使われている縁起ですが、縁起にはもう一つ意味があります。それは、「この世のあらゆるものは、縁(えん)によって起こっている」という意味です。つまり、ここでいう『縁起』とは、「結果を引き起こす原因」という意味です。

 何もない青空に、気象条件という様々な「縁(結果を引き起こす原因)」が加わり雲が発生します。さらに様々な縁により、やがて雲は雨雲に発達し、雨が降ります。山からしぼれた雨水は、低い方へと集まり川となる。私たちは、その水を引き込んで、飲み水や田畑に利用して、飲んだり食べたりして今日の命が保たれ、生まれては死に、命のバトンが受け渡され、今呼吸をしながら、正翁寺のホームページを見ている。

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 今周りで起こっている環境、今自分の中で起こっている心境は、様々な縁によって起こっています。つまり、私は縁起しています。

 身につけている、服も、めがねも、食べ物も、電車も、道路も、字が読めることも、足し算ができることも、温暖化した環境も、原因があって起こっています。

 そこで、お釈迦さまは、あらゆるものごとは、縁によって起こっているのだから、心の状態をよく観察し、苦しい結果となる原因(悪)を防ぎ、楽な結果となる原因(善)に励みなさいと説かれています。

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 縁起の法則に当てはめてみますと、世界中の存在・事象は、互いに関わり合っていて、その関わりを離れては存在できません。つまり、この世界に存在するものは、すべて支え合い、助け合って、蜘蛛の巣状のネットワークの中で、持ちつ持たれつ生かされている。と同時に、他を生かしてもいます。

 そう、自分をよく調えることは、結局周りに善い影響を与えることになってしまうのです。

 ものに溢れ、何の妨げもなく平和に過ごせる日本の私たちにできることは、情報に振り回されず、肉や酒やゲームに振り回されない、堅固な自分をつくること。

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 堅固な自分作りは、日常生活を調えること。さらには、腸内環境を調え、呼吸を調えて、そして難儀な心を調えましょう。世のために。



posted by 正翁寺 at 14:57| 日記

2017年01月01日

浄(きよ)く 正しく 堂堂と 

 皆さま新年を迎え、新たな気持ちが湧いていることでしょう。どのような目標や願いを掲げましたでしょうか。

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 さて、お釈迦さまの教えに、「善(よ)いことをし、悪(わる)いことをせず、心を浄(きよ)めていくこと、これが過去のお悟りを開かれた仏さま方の教えである」とあります。これは平成28年10月にもご紹介しました。
 
 善いことをして、悪いことをしないということぐらい、小さい子でも分かることです。しかし、ポイントは、「心を浄(きよ)めていくこと」です。私たちは、何の戒め(いましめ)もなく生活していては、欲望という汚れが少しずつ心に付着し蓄積していきます。

 それを取り払うプロセスが、お釈迦さまから伝わる八正道(はっしょうどう)です。八正道は、八つの聖なる道といわれることから、八聖道(はっしょうどう)と表されることもあります。

 @正見 …適正な見解
 A正思 …適正な分別
 B正語 …適正な言葉
 C正業 …適正な行為
 D正命 …適正な生活
 E正精進…適正な努力
 F正念 …適正な心構え
 G正定 …適正な心の統一

 すべてに「正」が付き、すべての訳に「適正な」とあります。お釈迦さまの教えの原点は、「中道(ちゅうどう)」といって、欲望のおもむくままの快楽主義でもなく、不眠、不休で断食(だんじき)するような苦しい修行でもなく、両極端を離れます。

 それからよく勘違いされるのは、お釈迦さまの教えは、欲望を無くすのではありません。例えば、金銭欲がなくなってしまったら、働く意欲が湧いてきませんし、経済は止まってしまいます。性欲がなくなれば、子孫が繁栄しなくなります。名誉欲がなくなれば、組織を善い方へ導くリーダーが出てこなくなります。

 お釈迦さまの教えは、離欲(りよく)といって、欲に依存したり執着するのではなく、欲との適正な距離を保ちます。欲望を程々に、適正に制御(コントロール)しましょうね。というものなのです。

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 さて、八正道(はっしょうどう)を例に挙げますと、坐禅(ざぜん)は、姿勢を調えて、呼吸を調えて、ぐちゃぐちゃした心を統一させる「G正定(しょうじょう)」に当たります。また、生き物をむやみに殺さない、与えられていないものを盗まないといった教えは「C正業(しょうごう)」に当たり、嘘を言わない、他人をけなさないといった教えは「B正語(しょうご)」に当たります。
 
 また、不眠不休で働き続けることは、D適正な生活とはいえませんし、E適正な努力ともいえません。また、誰かの幸せを聞いたとき、喜びよりもねたんでしまう心は、F適正な心構えとはいえません。

 この八正道に当てはめた苦でもなく楽でもない、中道の日常生活が、心に付着するゴミを浄化し、浄(きよ)らかな仏の心が少しずつ磨き現れてきます。

 心というフィルターを通して、見たり感じたりする私たちは、浄らかな心が現れることで、@安らかで、楽しく自由な世界が広がっていくことでしょう。

 しかし、安らいだ心でさえも、気圧の関係や、二日酔いなどで、人の心は日々変化しています。そんなときでも八正道を知っていれば、大きく外れそうな心を、正常な座標軸に近づけておくこともできます。

 紛争や食料難などがない平穏な日本に住む私たちは、八正道の日常生活に自分を当てはめて、善く自分を調えていって下さい。自分が持つ生命機能を上向きにさせて下さい。

 ゲームやスマートフォンとの程よい距離を保ち、適正な日常生活を心がける。そうして心を浄らかにし、堂堂と世界を引っ張っていく。それくらいの大きな気概を持っていきたいものです。

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最後に、女優の綾瀬はるかさんは、NHKのおはよう日本でこのような目標を掲げていました。

 「まあるい心」

 忙しくなったりすると、とがった心になってしまうそうですが、いかがでしょうか。

 浄(きよ)く、正しく、堂堂と、まあるい心で、日常生活を歩んでまいりましょう。本年もよろしくお願いします。


 
posted by 正翁寺 at 17:46| 日記

2016年12月03日

平成二十八年師走、芝は青く、草は枯れず。これでいいのか。

 十二月です。早いもので、今年も残すところあと一ヶ月を切りました。春のように暖かい日が続き、大変助かります。しかし、12月にもかかわらずこの暖かさ、何か気になりませんか。

 さて、正翁寺の本堂に向かって左の方に、原っぱがあります。例年ここの草は、1月頃には枯れてしまい、辺りは茶一色となります。そして3月を過ぎるころ、茶色の原っぱの中に緑色をした新芽がちらほら色づいてきて、春の喜びを感じる。毎年これを当たり前のことのように思っていました。しかし、平成28年1月、2月と、原っぱの草は緑色のまま。そして、草は枯れることなく3月を迎えるこことなったのです。

 曹洞宗を開かれた、道元禅師(どうげんぜんじ)は、鎌倉時代に正法眼蔵(しょうぼうげんぞう)という書物を残されました。その中にこのようなことが書かれています。

 『因果(いんが)の道理、歴然(れきねん)としてわたくしなし』(正法眼蔵『深信因果(じんしんいんが)』より)

 「原因と結果の関係性は、ハッキリとしていてごまかしようがなく、公平無私(こうへいむし)なのですよ」といった内容です。結果には、必ず原因があり、その「因果の法則」は公平で、ごまかせません。

 例えば、透明なコップにきれいな水が入っているとします。その中に、黒い墨を一滴ずつ入れていきます。すると、コップの水はごまかしようがなく、黒色に染まっていきます。「黒色に染まった水」という結果の原因は、「墨」です。

 また、肥満になる原因を考えていくと、アルコールだったり食事の内容、あるいは食事の時間やタイミングなど様々な原因が考えられます。さらに、内面的な原因を考えていくと、ストレスであったり、静寂な時間が少なかったり、運動不足であったり、呼吸が浅かったり、腸内環境が整っていない等々、様々な因果関係が見えてきます。

 そうやって原因を突き詰めて、根本を少しずつ善良な方向へもっていくことは、実はお釈迦さまが説かれた「縁起(えんぎ)」の教えなのです。

 自分自身に善い原因を与えて、すっきりとした状態をつくっていきます。「稲盛和夫と福島の子どもたち〜人は何のために生きるのか」という本の中で、「ひとは、善いことを思い、善いことを実行していくことで、善い運命をつくっていくことができるんですよ」と、「因果の法則」について書かれています。 

 温暖化している地球に、何らかの善い原因を与えていく、もしくは悪い原因ををさぐって、少しずつ取り除いていく。そんな時が来ているのではないでしょうか。温暖化はすぐそこに迫っているどころか、もう結果として現れています。それに対する意識は、国民の、いや、地球人の必須課題といえるでしょう。

 遊ぶことも、食べることも、お金を稼ぐことも、全ては、地球環境が落ち着いていることが大前提ですので。

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◎参考:正翁寺報「まんぷく通信」.pdf


 
posted by 正翁寺 at 10:41| 日記

2016年10月16日

技術に限界あれども 心の伸びしろは無限である      〜広島カープコーチ 石井琢朗

 石井琢朗コーチは、2008年までの20年横浜ベイスターズで活躍し(入団当初は横浜大洋ホエールズ)、その後広島カープに移籍し、4年後に引退。現在はコーチとして活躍しています。ちなみに、2006年には史上34人目となる2000本安打を達成しています。
 
 石井さんは、ベイスターズ時代の20年は、打つ、走る、守るといった「技術の伸びしろ」を求め続けていました。しかし、広島に移籍してからは、一つの勝利、一つの守備、ファンからの声援、なにげない生活での一コマなど、小さなことでも、喜びを感じるように、意識が変わったといいます。

 そして、「何かを得たい」「ほしい」といった意識から、反対に、「与えたい」「カープに恩返しがしたい」と変わっていったそうです。苦悩から見えてきたもの、それは、限界のある技術面ではなく、限界のない「心の伸びしろ」、つまり内面性の大切さだったのです。

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 お釈迦さまのことばに、「善(よ)いことをし、悪いことをせず、心を浄(きよ)めていくのが、過去の悟った仏たちの教えである」とあります。善いことをし、悪いことをしないのは分かりますが、ポイントは、心を浄めることです。それが、石井さんが言っている「与えよう」という意識です。
 
 落ち葉をたった5分だけ掃くにせよ、お皿をたった10枚だけ洗うにせよ、「与えよう」という意識を持つだけでも、心がほんの少しでしょうけれど、浄められ、喜びを感じられる意識が、少〜しずつ醸(かも)し出されてくる。そんな小さな繰り返しと積み重ねに因(よ)るものが、安楽な、喜びを感じられる世界なのではないかと思います。

 石井さんは言います、「心の伸びしろ」を意識するだけでも、人間的にも強くなれます。私たちには、まだまだ成長する余地が残されているのですよと語っています。

 技術には、限界や個人差はありますが、心の伸びしろは、無限に伸ばすことができるのです。 
         
   
   【参考文献「心の伸びしろ」石井琢朗著】

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posted by 正翁寺 at 10:17| 日記

2016年08月05日

墓参りや仏壇参りが、子どものやさしさを、醸成(じょうせい)させる


・醸成(じょうせい)…ある気運・情勢などを次第に作り上げて行くこと。醸(かも)し出すこと。(三省堂『大辞林』より)



 日本香堂と尾木直樹師が、子どもたちの「供養経験」と「やさしさ」の関係性を調査し、その結果が発表されました。

 調査結果に対し、尾木師は、「教科書や口頭だけの道徳教育よりも、具体的な「祈る行為」が、確実に子どもたちの中にコンパッション(やさしさ・思いやり)を醸成し、高めることを暗示している」とのコメントも寄せられているそうです。

 さらに、「子どもたちの中で、『先祖』をはじめとする目に見えない対象への感謝や畏敬の念が、墓参り・仏壇参りといった習慣的な行為を通して意識化され、内面化され、それが『他者へのコンパッション(やさしさ・思いやり)』の涵養(かんよう=徐々になじませて養い育てること)にもつながっている」との可能性が浮かび上がり、

我が国の家庭文化として、長きにわたり個人の人格形成や精神的熟成に寄与してきた「供養」に対する再確認・再評価を現代社会に迫る仮説検証であり得たと思料するものだと、調査結果の中で記されています。

 仏教では、習慣力を大事にします。「修行」という言葉も、サンスクリット語で『バーバナ』と言って、「反復」という意味もあります。

 太陽と連動して早朝に起床し、坐禅をして、呼吸を調えて心を調えて、そして朝のお勤めで、感謝を述べ、皆様の供養と幸せを願う。そして食事をする際は、いま目の前にある食事がどのような経緯でここに運ばれてきたのかを考え、こんな私にこの命を食べる資格があるだろうかと反省し、自己を調えて、他に生かす悟りの道を成し遂げることを誓います。

 こんなことを日々反復していきますと、半年で変わってきます。習慣の力は偉大です。

 先祖供養を通じて、ちょっとした感謝、ちょっとした畏敬の念を日々繰り返していって下さい。

 小さな机に、本尊さまを祀り(曹洞宗の三つ折り三尊仏は三千円位で購入できます)、湯飲み茶碗にお線香を立てる灰を入れれば立派なお仏壇の完成です。毎朝、お水やご飯などを供えて下さい。

 大切なことは、値段よりも日々続けていくこと、そして頭で考える理屈よりも、実践することです。
 
 

 詳しくはこちらをお読み下さいhttp://www.nipponkodo.co.jp/blog/wp/wp-content/uploads/2015/09/8bfc5ffbef190a75752ec2b8149fa8c0.pdf
posted by 正翁寺 at 19:04| 日記

2016年06月18日

水なければ、作物育たず 作物なければ、私育たず 水に感謝!雨に感謝!

 
 よく仏教って何ですかと聞かれることがあります。

 仏教とは、お釈迦さまの教えです。

 では、お釈迦さまの教えとは、何なのでしょうか。

 たくさんの教えの中でも代表的なものは、『縁起(えんぎ)』です。

 よく、「縁起がいい」とか、「縁起でもない」とか使われる『縁起』です。しかし、それとは意味が違います。

 仏教で言う『縁起』とは、「この世のあらゆるものは、縁(えん)によって起こっている」というものです。ここでいう『縁』とは、「結果を引き起こす原因」という意味です。

 例えば、袋に入ったひまわりの種をそのままにしておいても、芽は出てきません。種に土や水、お日様の光、さらに人の愛情といった『縁』が加わることで、芽を出し、成長し、やがて花を咲かせます。

 私たちの命も同じです。私たちも急にそこら辺から生まれてくるのではなく、縁によって生まれてきます。

 ご先祖の出会いの縁でこの世に生まれ、生まれたからといって、そこら辺に放っておかれては死んでしまします。

 ごはんを食べさせてくれる人がいて、便の始末をしてくれる人がいて、字の読み方を教えてくれる人がいて、様々な縁をいただきながら成長していきます。

 特に、私たちは、食べ物を食べていかなければ生きていくことはできません。食べ物が口に入るまでの原因をさかのぼっていくと、作ってくれる人がいて、買ってきてくれる人がいて、買うための費用を得てくれる人がいます。

 さらに、食べ物を生産してくれる人がいて、太陽の恵み、雨の恵みがなければ、その作物は成長していくことはできません。

 雨の日は、あまり快適とはいえませんが、「雨」を「縁起の教え」に照らし合わせてみますと、雨の恵みは、私たちの「生命の源」であることが分かってきます。そう、私たちは、「雨」に感謝してもしきれないほどお世話になっているのです。

 水がなければ、作物は育たなく、作物がなければ、私も育ちません。水に感謝、雨に感謝であります。

 雨の日も晴れの日も、皆様の毎日が、好(よ)き日でありますように。

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posted by 正翁寺 at 09:09| 日記