2019年06月22日

きゅうりのように育ちなさい!(ネルケ無方師)

 皆さんこんにちは。長い梅雨が続いておりますが、いかがでしょうか。

 さて、ドイツ生まれの禅僧、ネルケ無方さんは、お師匠様から「きゅうりのように育ちなさい」と教えられたそうです。きゅうり…?どういうことでしょうか。

 きゅうりは、麻のひもを一本垂らしておけば、勝手に元気よく育っていくものだそうです。では、麻ひもがかったら、きゅうりはどこへ向かって伸びていくのでしょうか。

 ちなみに、ネルケさんは、日本人はトマトだと言います。
 トマトは、三本位支柱を立てないと育たないそうです。つまり、しっかっりと支えてもらって、与えてもらわないと育っていかないということでしょう。

 さらに、ネルケさんは、欧米人はカボチャだと言います。
 自己主張が強く、横にはって育ち、隣のきゅうりやトマトを枯らしていく。

 いかがでしょうか。麻のひもは、お釈迦さまの教えであります。つまり、清らかな指針であります。指針は、日々変化する私たちの心を、適正なところへ戻してくれます。しかし、指針がないと戻ってくることはできなくなるかもしれません。

 「迷い」に満ちた人生だからこそ、基本となる座標のひもが必要なのです。 合掌

posted by 正翁寺 at 11:54| 日記

2019年05月01日

民、善く和(なご)み、また、民、自然とも善く和む。 これ、麗(うるわ)しき大和の始まりなり

 皆さんこんにちは。令和元年をむかえましたが、いかがでしょうか。

 平成は、西暦1989年に始まり、2019年に終わりました。たった30年の間に世の中は著しく変化しましたが、人間も変化したのでしょうか。生物学的に人間は、大昔も今も変わっていないそうですが、ものごとのとらえ方、感じ方は、変化しているようです。

 その大きなきっかけとなったのが、平成23年に起きた、東日本の大地震ではないでしょうか。素晴らしく様々な技術が進歩して、あまり人の世話にならずとも生きていけるような便利な世の中となりました。しかし、結局のところ、人と人は、いざとなったら助け合いが必要ということに気づかされました。また、当たり前の日常がいかに有り難いかということを、バチーンと横っ面をはたかれ、気づかされました。

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(奥松島の月浜で撮影、平成23年5月)

 また、平成の大反省がもう一つあります。それは、地球の温暖化です。世のため人のためと、先人たちがご苦労されて、エネルギーを消費して社会活動を行ってこられたと同時に、地球の温度が上がってしまいました。近年の世界的な見解として、台風や夏の雨の激しさは、地球の温暖化が原因と断定できるようになりました。言い換えれば、あの豪雨や台風は、人間が自ら作り出しているといえてしまうのです。

 新たな時代は、人と人が助け合って、自然と調和していくにはどうすればいいのかを、考えるだけではなく、実行していく。だとすれば、禅寺のシステムは、十数年後には最先端となるのかもしれません。刀狩りではなく、電気狩り令なんて法案が成立したら、大変なことになるかもしれません。でも、それはそれで楽しいかもしれませんね。

 人と人、人と自然が調和する時代となれば、本当に麗しいき日本国となることでしょう。合掌

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(南三陸のあるホテルの売店で撮影、平成29年5月)
posted by 正翁寺 at 16:31| 日記

2019年02月07日

〜おかげさまで〜 悪いことがあると ひとのせいにするが、良かった時も 人のせいにしよう 

 皆さんこんにちは。すんなり暖かくとはいかず、まだまだ寒い日は続きそうですが、いかがでしょうか。

 さて、プロ野球の元監督、野村克也さんの著書『野村ノート』の冒頭に、このようなことが書かれています。

 〜おかげさまで〜
夏がくると冬がいいという、冬になると夏がいいという
太ると痩(や)せたいという、痩せると太りたいという
忙しいと閑(ひま)になりたいという、閑になると忙しいほうがいいという

自分に都合のいい人は善い人だと誉め、自分に都合が悪くなると悪い人だと貶(けな)す
借りた傘も雨があがれば邪魔になる
金をもてば古びた女房が邪魔になる、世帯をもてば親さえも邪魔になる

衣食住は昔に比べりゃ天国だが、
上を見て不平不満に明け暮れ、隣を見ては愚痴(ぐち)ばかり
どうして自分を見つめないか、静かに考えてみるがいい
いったい自分とは何なのか

親のおかげ、先生のおかげ、世間様のおかげの塊(かたまり)が自分ではないのか
つまらぬ自我妄執(じがもうしゅう)を捨てて、得手勝手(えてかって)を慎んだら世の中はきっと明るくなるだろう
おれがおれがを捨てて、おかげさまでおかげさまでと暮らしたい

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 いかがでしょうか。
 
 野村さんはこの言葉にふれて、はっとします。20年以上監督を続けてきて、今の選手に最もかけているものは、「感謝の心」にほかならないと気がつくのです。そして、この「感謝の心」こそが、人間が成長していくうえで最も大切であり、そうした個々の集大成がチームとしての発展につながっていくと記しています。

 私たちは、さまざまな人やものに生かされています。天地自然はじめ、ご先祖様、父、母、兄弟、友人、先生。あるいは、病院、警察、消防、電力、ガス、水道、電車、バス……。さまざまなご縁にお世話になっています。

 うまくいった時は、そのご縁を思い出して、感謝をしましょう。「おかげさまで ありがとう」と。

 ここまで読んでいただいた皆さまに、よきご縁がありますように。 合掌


  
posted by 正翁寺 at 18:52| 日記

2019年01月01日

明日の分からぬ人生で 今日を迎えたこと 誠に有難し

 新年を迎え、皆さま気持ちを新たに、「今年は運動を続けるぞ」とか「今年は言葉づかいに気をつけよう」とか、様々な目標を掲げていることでしょう。

 さて、この「有難い(ありがたい)」とは、字の通り「あることがむずかしい」という意味です。あることが難しいので、「まれだ」という意味となり、まれなものは貴重であるから、「感謝する」とか「うれしい」ということになります。

 いつ何が起こるか分からない人生の中で、地震が来ることもあれば、病気になることもあるし、歩行者だけの道路に車が来ることもなくもない。何が起こるか分からない中で、今日の日を、この平成31年を迎えたことは、簡単で当たり前なようですが、よくよく考えると難しいことです。

 また、ご縁のある人と新年を共に迎えることも、蛇口をひねれば出てくる一杯の水も、スイッチ一つで明るくなる電球一個も、どれも当たり前のように思いがちです。しかし、人でいえば生まれてきて成長するだけでも難しいことですし、水や電気でいえば、水道管や電線が順調で、雨が降ったり、燃料がとれなければいけません。

 いつどうなるか分からない、諸行無常な人生の中で今日の日を迎えられたことは、「十方(※じっぽう)有難し」という真実が満ちているのです。【※「十方(じっぽう)」とは、東西南北、東南・東北・西南・西北と上下】

 このような新年の輝かしい初心を忘れずに、12月を迎えたいものです。皆さまが、清らかな良縁とたくさん出会うことを、祈念申し上げます。合掌

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【参考】『大辞林』三省堂
posted by 正翁寺 at 11:55| 日記

2018年07月13日

ご先祖あっての私、地球環境あってのご先祖、奇跡の連続あっての地球環境

 命に関わるほどの暑い日が続いていますが、皆さまいかがお過ごしでしょうか。

 さて、約2500年前に仏教を起こされた、お釈迦さまの教えの基本は、「縁起(えんぎ)」です。

 一般的に縁起とは、「ものごとの吉凶の前兆」や「起源、由来」を意味しますが、仏教的な意味合い、つまりお釈迦さまが覚(さと)られた「縁起」は、これとは違います。

 それは、『一切のものは(精神的なはたらきを含む)様々な「因(いん)」(=原因)と「縁(えん)」(=条件)によって生(しょう)じるという法則です。

 例えば、袋に入ったヒマワリの種があるとします。このヒマワリの種という「因(いん)」は、このままでは、もちろん花は咲きませんね。様々な「縁(えん)」という、条件を加えることで、ようやっと花を咲かせることができます。

 それにはどういったものが必要でしょうか。土や水、太陽が必要ですね。さらには、ヒマワリを大切に想う人の愛情も加えておきましょう。

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 皆さんが今着ている服も、タイムカプセルに入れて巻き戻してみますと、多くの条件(=縁)が加わっていることが分かることでしょう。この縁起の法則は、物ばかりではなく、私たちの命にも当てはまります。

 それは、縦の線(過去からの様々な条件)と、横の線(今受けている様々な条件)の交わるところに、今の私がいます。

 縦の線を知るには、「今の自分には、過去からのどのような条件が加わってきたのかを考えてみます。」親や先生、友達などたくさんの方々に助けられたり、教わってきたことでしょう。
 
 さらに過去にさかのぼっていくと、もしもあの日あの時あの場所で、あのご先祖様が出会っていなければ、私の今の一呼吸、一鼓動はありません。さらにさかのぼると、地球が何十億年と育んできたことも、いまの私の条件として、はずすことはできません。
 
 「地球カレンダー」というものを知っていますか。地球の誕生から現在までの46億年という途方もない年月を、1年365日で表しているものです。

 ここで問題です。「人類が誕生するのは、何月何日頃でしょうか。」 

 ・1月1日  地球誕生。無数の微惑星が合体と衝突を繰り返しながら原始地球となる。
 ・1月12日 原始地球に天体が偶然衝突し、地球と月が偶然分離する。
 ・2月9日  地殻がほぼ固まってきて、陸と海が生まれる。
 ・2月25日 最初の原始生命が誕生
 ・5月31日 光合成を行う藻が登場し、酸素の放出を始める。
 ・7月18日 大気中の酸素が増えてくる
 ・11月14日オゾン層が形成され、有害な紫外線をさえぎるようになる。
 ・11月20日魚類の出現
 ・11月28日植物が陸へ上がる。節足動物が陸へ上がる。
 ・12月13日恐竜時代が始まる。
 ・12月19日鳥類の出現。
 ・12月26日巨大隕石が偶然激突して恐竜が絶滅。
 ・12月31日23時37分現生人類(ホモ・サピエンス)誕生。
         23時58分52秒農耕牧畜が始まる。
         23時59分46秒キリスト生誕。
             56秒ルネッサンス。
             58秒産業革命。
             59秒20世紀が始まり終わる。
(『参考:地球カレンダー 46億年の歴史を1年で見る・21世紀の歩き方大研究』)

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 人類の出現は、12月の中旬頃と予測しましたが、とんでもない。大晦日になっても人類は出現せず、お昼を回っても出現せず、紅白が始まっても出でこない。番組が終わる頃ようやっと現れます。地球の歴史からすると、私たちの人生は一瞬のまばたきの如くですね。 

 何人ものご先祖様が必死に生きてつないできた命が私であり、そのご先祖様がたも、平穏な地球環境がなければ出現しなかったわけです。その地球環境も奇跡の連続で酸素が満ち、オゾン層が形成され、人類が出現する。

 宇宙の惑星の中で、水や緑が生まれることが奇跡的ならば、雑草一本生えてくることも本当に奇跡的な出来事。ましてや私が生まれてくることなんて、この上なく奇跡的なことであります。その私たちにとって切っても切れない母なる地球は、私たちの根っこ、つまり母体です。
 
 この母体なくして、企業業績が好調になろうとも、この母体なくして人類が宇宙に進出しようとも、この母体なくして、差別や戦争がなくなったとしても、誰一人として心から幸せだなあと言える人はいないでしょう。

 地球が平穏となるには産業革命以前に戻らなければならないそうですが、そんなことは現実的ではありません。産業革命以前の生活水準から今に至る物質的な発展を、心より敬い、感謝して、そして足ることを知って満足していくことが、地球平穏化への第一歩ではないでしょうか。

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 もっともっとではなく、「エアコンの電源を入れさせていただく」「風呂の追いだきのボタンを押させていただく」「日が暮れたにもかかわらず、明るくして過ごさせていただく」すべてのことにエネルギーが使われていることは、まぎれもない事実です。これからの時代、こういった「因果関係を理解した謙虚さ」が求められるのではないでしょうか。
 
 奇跡的な地球環境があって、ご先祖が必死に命をつなぎ、私がいる。お金や車、エネルギーという果実も大事ですが、本当に大事なのは、見えない「根っこ」の部分です。

 



 
posted by 正翁寺 at 19:06| 日記

2018年03月06日

惜福 分福 植福(幸田露伴)

 桃の花が元気よく咲いていますが、皆さんいかがお過ごしでしょうか。

 さて今回は、100年に1人の頭脳といわれた幸田露伴(こうだろはん)の『努力論』(1912年初版)に出てくる「惜福(せきふく)・分福・植福」についてです。それを斎藤孝さんが訳して編集しているものを参考にご紹介します。

 まず「惜福(せきふく)」は、福を使い果たしたり、取り尽くしてしまわないことをいいます。えっ?楽しいことや美味しいものなど、福に遭遇したら、当然とことんいただくものでしょ。皆さんそのように考えませんか。

 しかし露伴は、こういいます。福を食い尽くしてしまうと、福に遇わなくなってしまうと。それとは反対に、福を惜しむ人にはまた福に遇うといっています。これは個人に限らず、団体や国家においても同様で、水産業(魚)や林業(樹木)、当時の優れた兵士は、すぐにできるものではないので、惜しまないと不利益を招くことになりますよと指摘しています。

 今でいえば、地球のエネルギーを食い尽くしてしまわないように気をつけなくてはいけません。ライオンがシマウマを食い尽くしてしまわないのはどうしてなのか。この真理を、世界中の人間が見習わなくてはいけません。

 次ぎの「分福」は、何となくお分かりになると思いますが、自分が得た福を他人に分け与えることです。

 さらに露伴(斎藤孝訳)の考えはこうです。福を分かち合う行為は、人間が、飢えたオオカミとは違う高貴なものとなり、「物質的なものを超えた高尚(※こうしょう)な幸福」をその人に与え、他人に物質的な幸福と精神的な幸福を与えるのである。こうした行為は、人類社会を高尚にし、善良にし、楽しいものにする重要な一因子なのだといっています。
 
 ※高尚とは、学問、技芸などが気高くて立派なさま。⇔低劣(『国語例解辞典』小学館)

 いかがでしょうか。ものを分けたりすることはあるかもしれませんが、「精神的な幸福を与えて、人類社会を豊かにしていく」。精神面の福までおすそ分けしていくなんて、なかなか難しいことですね。 

 最後の「植福」は、「自分の力や感情、知恵を使って、世の中に幸福をもたらす物質や情趣(じょうしゅ)、知識に貢献することである。すなわち、人の世の幸福を増進し、長く育てる行為を植福というのである。」とあります。

 福を植えるには、自分自身が、徳を積むこと、真の知識を積むこと。そうすることが、今日の人類の幸福や利益の源泉になっていると教えてくれています。

 学校教育や会社での競争、経済最優先とする政治などを見ていますと、生産性(成績)が最も重視されています。『野村ノート』(野村克也著)の中に、「人生と仕事は、常に連動している。だから、仕事を通じて人間形成、人格形成をしていく」ことが、監督業務五原則の第一番目とされています。

 これは、野球選手だけに限りません。学生なら学業や部活を通じて、母親なら子育てを通じて、年輩の方なら、若者に何かを伝えることを通じて、それぞれの役割や立場の中で、人間形成、人格形成をしていくということです。

 これは、成績や成果といった生産性だけではなく、精神性を大切に磨いていくことになります。精神性を磨くことが、これこそが、露伴がいう「植福」のつくられる元となる。つまり、豊かな国づくりの源は、それぞれの役割を通じて、徳を積み、真理を知っていくということなのです。

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 福を少し惜しみ、福を少しおすそ分けし、福を少しずつ植えていくことについてお伝えしましたが、いかがでしたでしょうか。最後に露伴の言葉(斎藤孝訳)を記して終えたいと思います。

 「力」というものは、大勢の力を合わせたより大きなものはなく、知恵もまた人の知恵を使うより大きなものはない。何ごとも大きなことは、限られた一人の力で成し遂(と)げられるものではないのである。だからこそ、大きな福を得ようとする人は、必ず福を分かち合って独り占めせず、周りの人に福がくるようにと願うようにさせるのである。すなわち、自分の福を分けて多くの人に与え、多くの人によって得た福を自分の福とするのである。 

・参考(幸田露伴著『努力論』〜小さな努力で人生の幸福を増やす法 訳・責任編集 斎藤孝)
  
 

 

posted by 正翁寺 at 18:30| 日記

2018年01月01日

福徳円満(ふくとくえんまん)

 「福徳」は、福分と徳分のことです。
 
 「福分」は金銭や品物の財物に恵まれ、「徳分」は身についた品性の輝きをいいます。誰もがほしい福徳ですが、そう簡単にはいきません。

 では、福や徳を手に入れるには、どうすればいいのでしょうか。仏教ではこのように説きます。

 いつもに他をよくするように努め、自分には厳しく、時間や物資を粗末にすることなく、わずかな時も物も生かして使う、そのような日常生活を繰り返していくことにより、福も徳も得られると説かれます。(『妙法蓮華経〜普門品』)

 処世術という表面的なテクニックがあるのではなく、徳を積んでいく日常を怠るから、人からの信頼を失うというのです。

 福徳が満ちるには、日常の小さな積み重ねが大切です。福徳を満たす高い目標を掲げ、一年の終わりに初心を振り返って頂ければと思います。皆さまのご多幸と、日本が平穏で豊かであることを祈念申し上げます。合掌

 (参考:『百歳の人生の師からあなたへ』松原泰道)

 

 
posted by 正翁寺 at 16:54| 日記

2017年12月02日

どう終わるかが大事(アレックス・ラミレス)

 皆さんこんにちは。

 早いものでもう十二月です。年末が迫(せま)ってくると、「今年やり残したことは、なかっただろうか」という思いを抱(いだ)きます。

 さて、横浜ベイスターズの監督、アレックス・ラミレスさんは、選手だった頃から「どう始まるかではない。どう終わるかが大事なんだ」と言っていました。

 入学、入社、結婚、出産、あるいは、創業、新築、初打席、初土俵、初当選などなど、初心は気持ちが高ぶり、やる気も十分なのですが、そのようなさわやかでポジティブな目標は、いつの間にやら薄れ、ネガティブな愚癡(ぐち)が浮かんでくることはしばしば。

 皆さま今年はどのような目標をたてましたか。女優の綾瀬はるかさんは、平成29年は「まあるい心」でいることを目標としていました(正翁寺掲示板、平成29年1月1日記載)。

 今年もあと一ヶ月、初心を見つめ直し、悔いのない平成29年を締めくくって下さい。そう、日本シリーズであのソフトバンクに勝ってしまいそうな勢いを見せてくれた、横浜ベイスターズのように。

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(能古島(のこのしま)から撮影した『ヤフオクドーム』)



posted by 正翁寺 at 09:53| 日記

2017年10月17日

中東の人々は言う、「日本はドリームカントリー」と。

 雨の日が続いていますが、いかがお過ごしでしょうか。

 雨が続く日もあれば、カラッと晴れる日もあり、いいこともあれば悪いこともあり、

 色々なことが起きる世の中ですが、私たちは当たり前のものがいざ無くなってみると、その人や物の有り難さに気づき、それらの恩恵を、あとから知ることになります。

 さて、仏教では、四恩(しおん)という四つの恩があります。

 一つ目は、天地の恩。言うまでもありませんが、天地の恵みがなければ生きていくことはできません。雨や太陽、大地や海など、あらゆるものが、相乗(そうじょう)し、和合(わごう)し、その恩恵の中で私たちは生命を維持しています。
 
 とあるテーマパークで、「もしも月がなかったら」というシアターを見たことがあります。もしも月がなかったら、地球には潮の満ち引きや四季もなく、常に強風が吹き荒れていて、背の高い動植物は存在できなかったそうです。つまり地球は、偶然できた月との絶妙なバランスによって、水と緑に恵まれた豊かな状態が保たれているというのです。

 二つ目は、父母の恩。これも言うまでもありませんが、ご先祖がいなければ今の私はここにはいませんし、この正翁寺のホームページを見ていることもありません。ご先祖が出会っては生まれ、生まれては死んでゆく中で、命のバトンが脈々と受け継がれ、私たちにつながってきます。ただし、生まれてきても、世話をしてくれる人がいなければ、生きていくことは困難を極めます。

 生まれたばかりの赤子は、自分で食べることも、排泄して汚れた体を自分で洗うこともできません。世話をしてくれる人の恩恵で生命が保たれ、成長します。

 三つ目は、社会の恩。小さな生命が誕生した時点で、まず病院のお世話になります。病院の先生、看護師、診察する機材や空調設備。さらには病院を建てることを企画した市町村、それを実現させた建築業者、それに関わる人たちを育てた学校等々、多くの社会の恩恵の中、おぎゃ〜と生まれてきます。

 さらに社会の恩恵は、死ぬまで続きます。生きていくには食べていかなくてはいけません。食べ物を生産してくれる農業、漁業、、畜産業の方々。それを運んでくれる流通業者、さらにそれを運ぶ自動車、自動車が走る道路、エンジンを動かすための燃料。そして運ばれた食べ物を管理して売ってくれるスーパー等々、安定した社会は、私たちが生きるために必須です。

 また、電気・ガス・水道。警察・消防・学校。電車・バス・船。電話・郵便・銀行等々。お世話になっている社会の恩恵は、考えるときりがありません。

 特に、銃を持たずとも暮らせる社会は、国土の恩恵といえます。自分の目的は妨害されることなく、当然のように達成できます。会社に行く、学校に行く、買い物に行く、海へ行って、そして当たり前のように帰ってくる。目的が妨げられる状況はほとんどなく、その人次第で目的は達成されます。

 「誰の世話にもならねえ」という人が稀(ま)れにいますが、この因果関係を一つ一つ考えてみますと、何の世話にもならない人は世界中探してもどこにもいませんし、過去にも未来にもそのような人はいないでしょう。

 このような因果関係を分かることを、仏教では「知足(ちそく)」といい、字のごとく、足ることを知るという意味ですが、足りていることに気づく。そして様々な恩恵を自覚せよ。と、たまに顔を出してくる不満足な心を、やさしく収めてくれる宝の教えなのです。

 夏の終わりにたまたま聞いていたラジオから、戦場カメラマンと言われている渡部(わたなべ)陽一さんが、ゆったりとした口調で、こう語っていました。「中東の人たちに、日本のことを話すと、皆さん何て言うか知っていますか。皆さん日本のことを『ドリームカントリー』と言うんです」と。

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(京都「竜安寺」にて撮影)

 この何でもそろっている日本において、あと何が必要か。さらなる技術の進歩か。宇宙の開拓か。いや、せっかくいただいた自分の生命を、ととのった生活習慣や健全な食事で、よりよく調えていく。その調った自分自身を世に活かしていくことが、自分自身も救われ、他をも救っていく、最上の道であり、これを歩む道をを「仏道(ぶつどう)」といい、その恩恵を「仏(ほとけ)の恩」といい、「四つの恩」の最後になります。

  水道をつくる人は水をみちびき、
  矢をつくる人は矢を矯(た)め(※)、
  大工は木材を矯め、
  賢者は自己をととのえる。

  (『ダンマパダ・第80句』中村元(はじめ)訳)
  
※「矯(た)める」…曲がっているものを伸ばしたり、まっすぐなものを曲げてととのえること。矯正(きょうせい)する。

 
posted by 正翁寺 at 17:40| 日記

2017年09月22日

死を自覚することで、かえって「生」が輝いてくる

 お彼岸が明けて、風や虫、遠くに見える景色など、秋らしくなってきましたが、皆さまいかがお過ごしでしょうか。

 さて、あの東日本大震災から6年が過ぎました。あの時の印象は、皆さまの状況、環境などで、いろいろな感じ方があったことでしょう。ただその中でも一つ、共通していたことがあります。それは、平穏な日常が一瞬にして変わってしまったことです。

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(2011年5月、宮城県奥松島にて撮影)

 震源地に近い地域はもちろん、関東にも影響がありました。電車が止まり、信号機も止まりました。そしてガソリンの供給がなくなり、コンビニの棚は品薄になってしまいました。電気の供給を制限するために計画的な停電がありました。そして、知っている方が亡くなりました。

 当たり前のものが、いざ無くなってみると、その有り難さに初めて気づきます。

 これが仏教でいう、「無常観(むじょうかん)の覚(さと)り」です。何も、僧侶でなければ覚(さと)れないわけではありません。小さな子から大人まで、日本中皆さまが覚りました。さっきまでの平穏な日々は、実は有り難かったんだと。そして明日が必ずある保障なんて実はどこにもないことも。

 無常(むじょう)の法則は、環境だけではなく、私たち自身にもにも当てはまります。

 葬儀の時、亡くなった方は、全身をもって最後のメッセージを発します。「皆さんもいつか、こうやって亡くなるんだよ」と。これを自分のことのように受け入れる方は、そう多くはないでしょう。
 
 例えば、一週間後に死んでしまうことが分かったとします。すると、どうでしょう、一日一日をムダに過ごすなんてことはしないでしょう。限りある時間を大切な人に使うのではないかと思います。いつかはやってくる死、これを自覚した時、「今」を大切にせざるを得なくなるはずです。

 最後に、高見順さんの詩を紹介して終わります。
 

『電車の窓の外は』高見順

電車の窓の外は

光にみち

喜びにみち

いきいきといきずいている

この世ともうお別れかと思うと

見なれた景色が

急に新鮮に見えてきた

この世が

人間も自然も

幸福にみちみちている

だのに私は死ななければならぬ

だのにこの世は幸せそうだ

それが私の心を悲しませないで

かえって私の悲しみを慰めてくれる

私の胸に感動があふれ

胸が詰まって涙が出そうになる(『死の淵より』)

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自分の死をしっかりと自覚したとき、

世界は輝いて見えて、生かされていることの喜びに気づく。

そして、本当の生き方とは、と考え始める。


 
 




 
posted by 正翁寺 at 17:20| 日記