2026年01月01日

人の生(しょう)を 受くるは難(かた)く やがて死すべきものの いま生命(いのち)あるは 有(あ)り難( がた)し (『法句経(ほっくきょう)※1』第182番)

 新年という言葉の通り、気持ちも新たに今日の日を迎えていることと思いますが、いかがでしょうか。

 さて、福井県の開業医である米沢英雄先生は、著書や名言を多く残した方ですが、ある時の講話で、

「吹けば飛ぶような、このちっちゃな生命(いのち)だけど、天地いっぱいがかけ合って成っている生命の重さに気づいたら、拝(おが)まないではおられない。この生命、大事に生きないではおられない」

と語られたそうです。私一人を生かしている背景に、一本の木を育てる背景に、天地総力をあげてのお働きがあるというのです。

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 山、川、谷、海、空、雲、太陽、月、それらの働きで、草という生命が生まれ、やがて花を咲かせる。そしてその草原に虫が活動し、それに連動して鳥や動物が活動する。そして私たちは山からしぼれた水をいただきながら、作物を育てたり、飲んだり、体を洗ったり使わせていただいている。

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 二千五百年前にお釈迦(しゃか)さまが発見されたこの天地の働きの真理(しんり)を「縁起(えんぎ)」といいます。一切のものが一点の例外もなくみな関わり合って存在しているというものです。

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 袋に入ったパンジーの種をそのままにしておくと、何も起こりません。袋を開け、空気という縁(えん)に触れ、土という縁に触れ、さらに水、太陽、愛情などの縁が加わることで、やがて見事な花を咲かせます。

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 やがて死すべき私たちであります。残念ながら例外はありません。しかしながら、自分の生命、木一本の生命の背景には全地球、全宇宙のお働きがあるという事実にも例外はありません。すべての地球の生命体は、みな連動し、人間に限っていえば、色々なものをいただいて、助けられております。

 生命の尊さ、重さ、そして有り難さにめざめ、四季折々の花や草木を感じ、できるだけ穏やかに一年を過ごして参りましょう。万民万物(ばんみんばんぶつ)の調和と、皆さまのご多幸を祈念致します。あなたにとって善き一年でありますように。 合掌

(参考:『八正道(はっしょうどう)シリーズ〜正見(しょうけん)(青山俊董老師(しゅんとうろうし))※2』仏教伝道協会)

 ※1 法句経…お釈迦さまの生(なま)の言葉を423の短い詩の形でまとめられた経典『ダンマパダ』の漢訳名(古いインド語が中国語に訳された名称)で、ダンマは「法(真理)」、パダは「言葉」を意味する。

 ※2 青山俊董老師…尼僧(にそう=女性の僧侶)。愛知県専門尼僧堂堂頭を50年近く勤め今に至る。現在は大本山總持寺の西堂という重役も担い、九十超のご老体にむち打ち、修行僧へ熱のこもった講演を続けられる。人を救う題材ならば他宗はおろか他宗教も取り入れる程視野は広く、引き出しは多く、ひらがな言葉で話されて分かり易い。

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posted by 正翁寺 at 16:43| 日記

2025年07月15日

叱られた 恩を忘れず 墓参り

 暑いですね。ようこそ正翁寺のホームページへ。

 さて、生物学的にいうと、私たち人間は、一年早く産まれてくるそうです。したがって、はじめの一年は何にもできません(お腹の中の十ヶ月あまりは、完全に母親のものをいただいていますので、始めの二年といっても過言ではありませんが)。食事、排泄、入浴など、すべて人の手によってやってもらって、やがて満一歳の誕生日を迎えます。

 やがて、歩けるようになり、言葉をおぼえ、足し算をおぼえ、一人前となっていきます。しかし、社会を知らないので、何となく不安を感じながら、粋がったりして成長していきます(それでいいんです)。
 
 そして、活動していくベース(土台)には、水や空気や食料を元として、住居や衣服、電気やガスや水道、警察や消防や病院、電車やバスやタクシー、スーパーや郵便や宅配、役所や学校や新聞など、様々な社会活動が健全に動いていないと、安心して成長することはできません。

 隣に座った見ず知らずの人にも、巡り巡ってお世話になっているかもしれません。

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 「恩」という字は、「因」+「心」。現在の私の因となっているものに一つ一つ気がづいて、心深く分かることで、この「恩」という字が浮かび上がってくるものです。

 色々な嫌な原因もあるかもしれません。しかし、生命が生きることのできない、死の世界である宇宙空間に、奇跡的に地球という星が誕生し、尊き生命が生まれ私たちもその仲間の一員です。私たちはお陰様の塊(かたまり)のようなものと言ったって、過言ではないのです。

 せっかくいただいたこの生命を生かして活かして、皆さんが喜んでくれる、あるいは皆さんの苦しみを軽減させる。そのようなことを健全にできればいいですね。

 その前に、叱られた恩を想ってお墓参りに行きましょう。さあ、暑い夏が始まります。直射日光に気をつけて、お元気に夏を乗り切って下さい。 合掌

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posted by 正翁寺 at 09:25| 日記

2025年01月05日

〜寛容〜自分とは違う考えの人を認め、受け入れよう。なぜなら、自然も人もみな、根っ子は仲間なのだから。


 皆さんこんにちは。正翁寺のホームページへようこそ。住職のたかむらといいます。皆さんも新年を迎え、気持ちも新たになり、どのような希望や目標を抱いたでしょうか。

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 さて、最近は情報を得るのに、新聞やテレビや雑誌などだけでなく、スマートフォンなどインターネットから簡単に探すことができるようになり、大変便利な日常となりました。

 ただ、この大変便利な環境には落とし穴があるということも分かってきています。知人などから「新聞なんてとらないよ。だってスマホがあるから。」と、最近では珍しくない考え方だと思いますが、心地よい情報だけをつまみ食いすることで思考が片寄ってしまうそうなんです。特に、真実ではない情報に人々の思考が左右されるといった事態が、世界的な社会問題となっています。

 できることなら、片寄らず、広く平等に世の中を見渡せればいいですね。それには、違った考えの人の話を見たり聞いたりすることは、(心地よくはありませんが)決して無駄なことではなく、実はとても大切なことなんです。考え方に幅と深みが出て、視野が広くなっていきます。完璧に広く平等な視野を目指すことは大変ですが、片寄らないように気をつけていこうと日々心がけることが、大切なことだと思います。

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 食べ物の好みや趣味が小さい頃と変わっていくように、考え方も少年期や青年期、二十代から四十代で変わっていきます。なので、様々な人の話を聞き、一旦はインプットすることは、将来の肥やしとなります。合わない考え方なら、アウトプット(実行)しなければいいだけのことです。ただ、後になって過去にインプットしていたことが、花開くこともあります。

 世界を見渡せば、違う考え方や違う信仰があることは当たり前です。それぞれの人の心の中には、それぞれの考え方や信仰があります。違う考えを受け入れやすくするには、様々なご縁と関わって、視野を広く、そして深くしていくことです。伝記で読むような偉人も、単独で成し得てはいません。何かしらのきっかけや出会いがあったはずです。だから人との出会い、ご縁は宝と言えます。

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 話は変わりますが、私たち人類は、地球の中の一生命体です。これは、人類みな共通です。したがって私たちは、空気や水、食料がないと生きていくことはできません。ということは、その基(もと)となる動物や植物、微生物に至るまで、みながイキイキと健全に活動していないと、私たちの生活にも支障が出てきます。さらに、人々の健全な社会活動も欠かすことはできません。電気ガス水道、警察消防病院、電車道路電話、郵便銀行自衛隊など・・・。様々な人々の社会活動が健全に動いていないと、当然私たちの生活に支障がでてきます。つまり、私たちは生きているというよりも、むしろ、生かされています。お陰様の塊(かたまり)が自分自身です。

 新年を迎え、新たに抱いた希望や目標が無事にかなうには、「当たり前の日常」というベースがあることが前提です。つまりは、世界中のあらゆる生命の健全な社会活動は、尊く大切なものであり、自然も人も、見知らぬ人も違う考えの人も、みな根っ子は、かけがえのない仲間であるといえます。

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 違う考え方や違う信仰を認めて受け入れて、そしてできることなら、寛容に大らかに相手の幸せを願いましょう。万民と万物が調和して、地球の活動の中で生活しないといけませんから。

 さあ、みなの幸せを願いつつ、新たな希望や目標に向かって進みましょう。皆さんにとって、イキイキわくわくする善き年でありますように!
                                     万福多幸  住職 合掌 
posted by 正翁寺 at 13:24| 日記

2024年01月02日

振り返れば、たくさんのお陰様に包まれている。持ちつ持たれつ、助け合おう、生かし合おう。

 皆さんこんにちは。

 お陰(御陰)を辞書で引いてみると、「神仏、あるいは、人から受けた力添えや恵み。」とあります。

 私たちには、どのような力添えや恵みがあるのでしょうか。

 一つには、天地自然の恵みです。今世界中の人々はみな呼吸をしています。なぜ呼吸するのでしょうって、それは言うまでもなく、酸素がないと生きていけないからです。ではその酸素はどうやって作られるのでしょうか。植物が光合成をすることで作られます。その植物が元気に光合成をするには、土や雨水、太陽の光が必要です。

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 つまり、私たちが生きてるのはそれらの恵みのお陰ということになります。

 二つめは、先祖や父母などの家族の恵みです。最も近い先祖は、父や母の二人。さらに一代さかのぼると父と母の父と母、つまりそれぞれのおじいちゃんおばあちゃんの四人。さらに一代さかのぼると八人に、さらに十六人、三十二人…と倍に増え続け、十代前までさかのぼると千人を超える先祖が私たちにはいることになります。その千を超える先祖の一人でも違えば今の私はここに存在しないことになります。

 私たちが今を必死に生きるように、先祖の皆様も、感染症や戦乱などを乗り越えて命のバトンをつないでいます。では養子の人は無関係かと問われるとそうではありません。先祖の方々も人と人が出会って命のバトンがつながるように、養子の方々も人と人とが出会って命のバトンがつながっていくので、例外ではありません。養子であろうとそうでなかろうと、今私たちの中に多くの先祖の方々の恵みが流れています。見方を変えれば、先祖からつながった仮の体を私が借りて生きていると言うこともできます。

 そして、生まれたての私たちは、一人で食べることも、便を出してそれを処理することもできません。お母さんやお父さん、あるいは世話してくれる人々の数々のお世話を経て、一人でできるように成っていきます。

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 三つめは、社会や国の恵みです。一つめの天地の恵みも、二つめの父母の恵みも、社会基盤が整っていないことにはその恩恵を受けられません。天地自然からいただいた雨水を飲んだり、育てる人が得たお金を食べ物に換えることができるのも、社会が整っていることが前提です。電気、ガス、水道、トイレ、風呂。警察、消防、病院。道路、排水、電車。郵便、宅配、タクシー。学校、スーパー、火葬場。農業、林業、水産業などなど。

 国家や自治体が安定していないと、これらの必要不可欠なものが滞ってしまいます。これらが安定して当たり前のように成っているのは、社会や国の恵みと言えます。

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 四つめは、仏(ほとけ)の恵みです。仏(ほとけ)とは、二つの意味があって、一つは皆様の先祖の方々。もう一つは、お釈迦さまのことです。

 先祖に護られている恵み。それからお釈迦さまの教えや、優れた宗教や哲学の教えの恵み。一見私たちは自分一人だけの力で生きているような錯覚に陥ることがあります。しかし、すぐれた教えに触れたとき、自分一人だけではなく、天地自然の恵み、父母や先祖の恵み、国や社会の恵みがあっての私なんだ。ということに気がつくことができます。

 そうすると感謝の心が湧いてきます。

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 子どもから大人まで、日本から海外まで、人類にとって悩みが尽きることはありませんが、振り返ってみればたくさんのお陰様に包まれていることは間違いありません。そう、私たちは様々な人やものに支えられていて、決して孤独なんていうことはありません。 

 先祖からつながったお借りしているこの体をどうやって使っていくか。これが人生の課題です。自分自身を生かして、どうやって世の中の苦しみを抜き取り、どうやって世の中に喜びを与えられるか。それを参究していくことが、私たちの人生のテーマと言えます。

 せっかく生まれてきたのだから、共に助け合い、生かし合いましょう。それがたくさんのお陰様の恩に報いる生き方です。合掌

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posted by 正翁寺 at 17:02| 日記

2023年03月15日

〜一切無常〜 散ってゆくから美しいのだ 毀(こわ)れるから愛おしいのだ 別れるから深まるのだ、 一切無常 それゆえにこそ すべてが生きてくるのだ(坂村真民)

 私たちが生きるこの世界は、人も自然も物も、そして人の感情も、一切のことごとくが無常(むじょう)です。

 無常とは、字の通り、常では無い。つまり、いつも変化しているということです。

 地球(宇宙)がとどまることなく動いている中で、その中の森羅万象一切のあらゆるものは、過去から現在、そして未来へと変化して、同時に、様々なものと相互に依存して、関係しながら存在し、変化していく。

 桜が咲くのも無常。子供が成長するのも無常。またその反対の現象も無常。すべては例外なく変わっていきます。

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 お釈迦様は、あらゆるものは相互に依存し関係し、様々な原因と条件が合わさって、生まれたり増えたり、減ったり止まったりしている、という法則を発見されたと伝えられています。

 朝顔の種をどこかで買ってきたとします。袋に密閉されたその種は、そのままでは芽を出すことはありません。袋を開け、空気に触れた種に、土や水や太陽の光、または人の愛情などを加えることで、種は芽を出し、生長し、やがて花を咲かせます。

 この例を、先に記したお釈迦様の法則に当ててみますと、種が原因で、その原因に、土や水や太陽の光、人の愛情などの条件が加わって、発芽という結果が起こります。さらに進めていくと、生長し酸素が発生したり、日影ができたり、花を見て喜ぶ人々といった影響が生まれます。さらには、その朝顔の花や葉などに虫たちが群がって、生態の一部となるかもしれません。

 この法則は、人や自然や物、そして人の感情など、あらゆるものに当てはまります。この法則をもとに、人の生き方や考え方を説かれたのが、お釈迦様(=仏)であり、その教えを仏教といいます。

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 その中に、火宅無常(かたくむじょう)という教えがあります。火宅とは、文字どおり、火の家です。火事とは関わっていない自分の日常は、一見平穏に見えますが、いつ感染症の流行で変わってしまうか分からないし、いつ大地震が来て壊れてしまうかも分かりませんし、近くにいる人といつ別れるかなんて私たちには分かりません。

 つまり、日常の平穏は、火の中の平穏であって、いつどうなるか分からない無常な日常なのです。そのような中の当たり前の平穏は、実は大変有り難いものなのです。

 当たり前の、一杯のあたたかいご飯、温かいお風呂、近くにいる人とのちょっとした会話。無常の世界だからこそ、そういった当たり前が嬉しくもあり、尊くもあり、有り難いものとして生きてくるのです。

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三界(さんがい)は安きことなく、なお火宅(かたく)のごとし。
衆苦(しゅく)は充満してはなはだ畏怖すべく、
常に生老病死(しょうろうびょうし)の憂患(うげん)ありて、
是(かく)のごとき等(とう)の火は熾然(しねん)として息(や)まず。
如来(にょらい)はすでに三界の火宅を離れて、
寂然(じゃくねん)として閑居(かんきょ)し、林野(りんや)に安処(あんじょ)せり。
今この三界はみなこれ我が有(う)なり。
その中の衆生(しゅじょう)は我が子なり。
(『法華経』譬喩品第三)

参考『仏典のことば』田上太秀(講談社学術文庫)

 
posted by 正翁寺 at 13:53| 日記

2023年01月01日

私はいつか必ず死ぬ、あなたもいつか必ず死ぬ。 という真理を理解した時、争いは静まる。 さらには、 相手を慈しむ気持ちも芽生える。


「『われらここにあって死ぬはずのものである』と覚悟をしよう。――このことわりを他の人々は知っていない。しかし、このことわりを知る人々があれば、争いはしずまる。」(『ダンマパダ第6句』中村元(はじめ)訳)

 親と子、夫と妻、上司と部下、友達同士など、人間には様々な関係がある。その関係のある人同士は、大体は助け合っているので、本当ならば感謝の気持ちをいつももっているのが、望ましい。しかし、そのちょっとした考え方の違いで、嫌な気持ちになったり、それが争いにまで発展することがある。

 しかし、仏教の祖であるお釈迦様が説かれた冒頭の句にあるように、頭にきた相手であってもいつか必ず死ぬ時が来るし、私にもいつかその時が来る。つまり、私と争っているあなたとは、いつかは必ず別れるときが来ますよ。

 というお釈迦様が説かれた不変の真理に照らし合わせてみる。すると、争いどころか、争う相手を愛おしくさえ思えてくる時がある。

 スマートフォンという究極の便利なものを扱うことが当たり前になった現代は、自分の望んだ通りにできることが当たり前になっている。そういう完璧に慣れた現代だからこそ、ちょっとした不一致、ちょっとした不都合に、私たちはストレスを感じやすくなっている。こういった精神状態によって、ちょっとしたことに怒りを感じ、それがが発展してしまって、争いが生まれることもある。

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 しかしながら、視点を広げて、さらに掘り下げて考えてみると、その相手だって不完全で悩み多き同じ人間であり、いつかは死ぬ。そういった弱き人間同士で、できるならば、「慈しみの心」を大きく成長させていき、助け合って生きたいものである。

 そもそも、私たちの体内では、寝ているときも酔っ払っているときも怒っているときも、いつでもどこでも常に助け合って連動して調和した活動が成り立っているのだから、助け合うことは、できるのである。

 いつか死する時まで、その手や足を使って世の中をより明るくするよう、一緒に努めていきましょう。さあ、令和5年という新たな幕が開きました。明るく仲良く元気良くこの命を楽しんでいきましょう。合掌


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posted by 正翁寺 at 16:20| 日記

2022年07月06日

叱られた 恩を忘れず 墓参り

 元ヤクルトスワローズの監督野村克也氏は、自著『野村ノート』の中でこのような事を記している。

 〜おかげさまで〜
「夏がくると冬がいいという、冬になると夏がいいという。
太ると痩せたいという、痩せると太りたいという。
忙しいと閑(ひま)になりたいという、閑になると忙しいほうがいいという。
自分に都合のいい人は善い人だと誉(ほ)め、自分に都合が悪くなると悪い人だと貶(けな)す。
借りた傘も雨があがれば邪魔になる。
金をもてば古びた女房が邪魔になる、世帯をもてば親さえも邪魔になる。
衣食住は昔に比べりゃ天国だが、
上を見て不平不満に明け暮れ、隣を見ては愚痴(ぐち)ばかり。
どうして自分を見つめないか、静かに考えてみるがいい。
いったい自分とは何なのか。
親のおかげ、先生のおかげ、世間様のおかげの塊(かたまり)が自分ではないのか。
つまらぬ自我妄執(じがもうしゅう)を捨てて、得手勝手(えてかって)を慎んだら世の中はきっと明るくなるだろう。
おれがおれがを捨てて、おかげさまでおかげさまでと暮らしたい。

 ある社会活動家の言葉だそうだが、これを見てはっと思い当たることがあった。監督としてこれまで23年間選手の育成にかかわってきたが、いまの選手にもっとも欠けているものは何か、それは「感謝の心」にほかならないと気づいたのだ。

〜中略〜

 この感謝こそが人間が成長していくうえでもっとも大切なものである、というのが私の持論である。そして、そうした成長の集大成がチームとしての発展につながっていく。」

 いかがでしょうか。自分とは、おかげさまの塊(かたまり)であり、それに気づいた感謝の心が、私たちが成長していくうえで最も大切なものと記しています。苦労して叱ってくれた恩を思い出して、家族みんなでおかげさまでと、お墓参りをしたいものです。合掌

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【参考】『野村ノート』野村克也著(小学館)
posted by 正翁寺 at 20:30| 日記

2022年05月24日

一つ一つの当たり前に感謝!

 皆さんこんにちは。

 私たちは、何かを突然失うと、それがいかに有難かったか、後から気づかされることがあります。

 例えば、風邪をひいたときのことを考えてみて下さい。健康って有難いことなんだなと、改めて気づかされ、食べ物や寝る時間などを見直して、健康に努めます。

 8月に35℃近い猛暑が続き、雨が降らない日が続くとします。それが2週間も続くと境内の芝生も活気を失い茶色くなってしまいます。ああ、梅雨の雨は有難いものだったのだなあと、改めて気づかされます。

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 あるいは、地震と津波で、平常の生活が失われたあの平成23年3月11日の東日本大震災では、海辺の町はガレキと化し、多くの人の命が失われました。地球上に生きるということは、地球の大きな活動と共に過ごすことになる為、いつどういう事が起きるか分からない。当たり前に水が飲めて、当たり前に食事をし、当たり前に寝る。これがいかに有難いか、地球様に横っ面をはたかれて、私たちは当たり前が当たり前ではないことを学びました。

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 それから、たったの9年後に、新型コロナウイルスという、新たな感染症が世界的に流行し、様々な変更を余儀なくされました。初めての緊急事態宣言により、通勤通学者は急減し、会合や食事会はすべて中止となり、飲食店は営業時間と提供するものを制限され、野球やサッカー、大相撲などは無観客となり、NHKのど自慢も中止となった。閑散とした渋谷のスクランブル交差点の報道は、衝撃を受けたものだった。当たり前に仕事ができて、当たり前にスポーツが開催され、当たり前に人と接する。これがいかに有難いか。人との接触を8割減らしたあの期間に、近所のおばさまと交わしたなにげない朝の挨拶は、心の底からうれしかったものでした。

 仏教では、私たちが生きるこの世界を「娑婆(しゃば)」といって、忍耐を強(し)いる世界を意味します。ということは、忍耐に苦しんでいるのは、あなただけがそうなのではなく、この世に生きるすべての人々一人一人が忍耐をして生きているということになります。なぜなら、この世の中は「諸行無常(しょぎょうむじょう)」といって、いつも変化していて、いつ何が起こるか分からないからです。

 だったら、その変化の一つ一つにくよくよするのではなく、こわれやすく変わっていくにもかかわらず、「今ある当たり前」に思いをめぐらして、その一つ一つに感謝をして過ごしていきたいものです。本日の晴れ、本日の雨、本日のメシ、本日のフロ、そして一番近くにいるあなたよ、いつもありがとう。 合掌

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posted by 正翁寺 at 13:43| 日記

2022年01月01日

道心(どうしん)有る人を名づけて国宝と為(な)す

 伝教大師最澄が示された山家学生式(さんげがくしょうしき)の冒頭にあることばで、正しい道を求め、真実を求める心がある人のことを「道心ある人」という。つまりその人こそが国の宝である。

 コロナ禍の生活は、我慢が必要とされる。しかし、その我慢というものは、その人が思い描く標準に達していないから我慢となるのであり、その標準を見つめ直してみてはいかがでしょうか。

 旅行や飲み会の制限に落胆することも共感する。しかし、人類にとっての最大級の問題は、衣食住であって、過去の歴史や戦乱の絶えない地域を思えば、現在の日本においては、本当に危機的な状況とはいえないはずである。

 しかし、近年の世界的な気温の上昇による影響は、衣食住の「食」や「住」に対する問題を生み始めている。だとするなら、旅行だ、飲み会だとはもう言っていられない状況が迫って来ているのである。

 状況が変われば作戦の変更も余儀なくするのであって、このコロナ禍という危機は、実は気づきのきっかけでもあり、標準を練り直すチャンスでもある。
 
 本年は、外に求めるのではなく、自己を見つめ直し、皆様がもっている素晴らしい「道心」という宝をより輝かせるよう努めていきましょう。宝が輝けば周りも明るくなり、眩(まばゆい)いくらいますます明るい世の中をつくるきっかけとなることでしょう。そのような素晴らしい一年となることを、心より祈念申し上げます。合掌

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(参考:「一隅を照らそう日暦」千眞工藝)

posted by 正翁寺 at 16:46| 日記

2021年11月05日

人類は地球上一番の新参者(しんざんもの)

 
 皆さんこんにちは。

 IPCC(気候変動に関する政府間パネル)という国際機関が、温暖化に関する報告を6〜8年に1度に発表していることを知っていますか。

 第5回目の発表は、2013〜14年で、温暖化の原因は、「人間の行いによる可能性はきわめて高い」としました。

 第6回目の発表は、2021年でした。そこでの表現は、「人間の影響が温暖化させてきたことに疑う余地はない」としました。

 人が地面から原油(石油やガソリン、電気の元)を掘り出して、それらを燃やし、植物だけでは吸収しきれないほどの温暖化物質(二酸化炭素など)を発生させ、はるか上空の大気圏に溜(た)まってしまう。

 溜まった二酸化炭素は、宇宙に放射されるはずの熱を吸収してしまい、ビニールハウスのような熱の膜で地球が温室状態となってしまっている。(温室効果)

 この現実をどうすればいいのか。温暖化の始まりとされる産業革命(1850年頃)以前の生活に戻ればいいのか。そのような修行僧のような生活は現実的ではない。

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 そこで正翁寺は、人類が修行僧のような生活を強(し)いられないようにする為に、地球温暖化対策の心構えを3つ提示させていただきます。

 1,人類が、大自然の恐さを知り、己の小ささをよくよく知ること。

 2,人類が、虫や木や土、太陽や水などの大自然にお世話になっている現実を、常に忘れないでいること。

 3,人類が、1850年以降の文明に心から敬意を抱き、満足すること。

 私たちは、地球上で新たに仲間入りした新参者です。古参(こさん)である先輩方の法則によく従って行動しましょう。

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posted by 正翁寺 at 17:27| 日記