2017年09月22日

死を自覚することで、かえって「生」が輝いてくる

 お彼岸が明けて、風や虫、遠くに見える景色など、秋らしくなってきましたが、皆さまいかがお過ごしでしょうか。

 さて、あの東日本大震災から6年が過ぎました。あの時の印象は、皆さまの状況、環境などで、いろいろな感じ方があったことでしょう。ただその中でも一つ、共通していたことがあります。それは、平穏な日常が一瞬にして変わってしまったことです。

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(2011年5月、宮城県奥松島にて撮影)

 震源地に近い地域はもちろん、関東にも影響がありました。電車が止まり、信号機も止まりました。そしてガソリンの供給がなくなり、コンビニの棚は品薄になってしまいました。電気の供給を制限するために計画的な停電がありました。そして、知っている方が亡くなりました。

 当たり前のものが、いざ無くなってみると、その有り難さに初めて気づきます。

 これが仏教でいう、「無常観(むじょうかん)の覚(さと)り」です。何も、僧侶でなければ覚(さと)れないわけではありません。小さな子から大人まで、日本中皆さまが覚りました。さっきまでの平穏な日々は、実は有り難かったんだと。そして明日が必ずある保障なんて実はどこにもないことも。

 無常(むじょう)の法則は、環境だけではなく、私たち自身にもにも当てはまります。

 葬儀の時、亡くなった方は、全身をもって最後のメッセージを発します。「皆さんもいつか、こうやって亡くなるんだよ」と。これを自分のことのように受け入れる方は、そう多くはないでしょう。
 
 例えば、一週間後に死んでしまうことが分かったとします。すると、どうでしょう、一日一日をムダに過ごすなんてことはしないでしょう。限りある時間を大切な人に使うのではないかと思います。いつかはやってくる死、これを自覚した時、「今」を大切にせざるを得なくなるはずです。

 最後に、高見順さんの詩を紹介して終わります。
 

『電車の窓の外は』高見順

電車の窓の外は

光にみち

喜びにみち

いきいきといきずいている

この世ともうお別れかと思うと

見なれた景色が

急に新鮮に見えてきた

この世が

人間も自然も

幸福にみちみちている

だのに私は死ななければならぬ

だのにこの世は幸せそうだ

それが私の心を悲しませないで

かえって私の悲しみを慰めてくれる

私の胸に感動があふれ

胸が詰まって涙が出そうになる(『死の淵より』)

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自分の死をしっかりと自覚したとき、

世界は輝いて見えて、生かされていることの喜びに気づく。

そして、本当の生き方とは、と考え始める。


 
 




 
posted by 正翁寺 at 17:20| 日記