2017年10月17日

中東の人々は言う、「日本はドリームカントリー」と。

 雨の日が続いていますが、いかがお過ごしでしょうか。

 雨が続く日もあれば、カラッと晴れる日もあり、いいこともあれば悪いこともあり、

 色々なことが起きる世の中ですが、私たちは当たり前のものがいざ無くなってみると、その人や物の有り難さに気づき、それらの恩恵を、あとから知ることになります。

 さて、仏教では、四恩(しおん)という四つの恩があります。

 一つ目は、天地の恩。言うまでもありませんが、天地の恵みがなければ生きていくことはできません。雨や太陽、大地や海など、あらゆるものが、相乗(そうじょう)し、和合(わごう)し、その恩恵の中で私たちは生命を維持しています。
 
 とあるテーマパークで、「もしも月がなかったら」というシアターを見たことがあります。もしも月がなかったら、地球には潮の満ち引きや四季もなく、常に強風が吹き荒れていて、背の高い動植物は存在できなかったそうです。つまり地球は、偶然できた月との絶妙なバランスによって、水と緑に恵まれた豊かな状態が保たれているというのです。

 二つ目は、父母の恩。これも言うまでもありませんが、ご先祖がいなければ今の私はここにはいませんし、この正翁寺のホームページを見ていることもありません。ご先祖が出会っては生まれ、生まれては死んでゆく中で、命のバトンが脈々と受け継がれ、、私たちにつながってきます。ただし、生まれてきても、世話をしてくれる人がいなければ、生きていくことは困難を極めます。

 生まれたばかりの赤子は、自分で食べることも、排泄して汚れた体を自分で洗うこともできません。世話をしてくれる人の恩恵で生命が保たれ、成長します。

 三つ目は、社会の恩。小さな生命が誕生した時点で、まず病院のお世話になります。病院の先生、看護師、診察する機材や空調設備。さらには病院を建てることを企画した市町村、それを実現させた建築業者、それに関わる人たちを育てた学校等々、多くの社会の恩恵の中、おぎゃ〜と生まれてきます。

 さらに社会の恩恵は、死ぬまで続きます。生きていくには食べていかなくてはいけません。食べ物を生産してくれる農業、漁業、、畜産業の方々。それを運んでくれる流通業者、さらにそれを運ぶ自動車、自動車が走る道路、エンジンを動かすための燃料。そして運ばれた食べ物を管理して売ってくれるスーパー等々、安定した社会は、私たちが生きるために必須です。

 また、電気やガスや水道。警察や消防や学校。電車やバスや宅配便等々。お世話になっている社会の恩恵は、数えるときりがありません。

 特に、銃を持たずとも暮らせる社会は、国土の恩恵といえます。自分の目的は妨害されることなく、当然のように達成できます。会社に行く、学校に行く、買い物に行く、海へ行って、そして当たり前のように帰ってくる。目的が妨げられる状況はほとんどなく、その人次第で目的は達成されます。

 「誰の世話にもならねえ」という人が稀(ま)れにいますが、この因果関係を一つ一つ考えてみますと、何の世話にもならない人は世界中探してもどこにもいませんし、過去にも未来にもそのような人はいないでしょう。

 このような因果関係を知ることを、仏教では「知足(ちそく)」といい、字のごとく、足ることを知るという意味ですが、足りていることに気づく。そして様々な恩恵を自覚せよ。と、ちょこちょこ顔を出す不満足な心を、やさしく収めてくれます。

 夏の終わりにたまたま聞いていたラジオから、戦場カメラマンと言われている渡部(わたなべ)陽一さんが、ゆったりとした口調で、こう語っていました。「中東の人たちに、日本のことを話すと、皆さん何て言うか知っていますか。皆さん日本のことを『ドリームカントリー』と言うんです」と。

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(京都「竜安寺」にて撮影)

 この何でもそろっている日本において、あと何が必要か。さらなる技術の進歩か。宇宙の開拓か。いや、せっかくいただいた自分の生命を、ととのった生活習慣や健全な食事で、よく調えていく。その調った自分自身を世に活かしていくことが、自分自身も救われ、他をも救っていく、最上の道であり、これを四つ目の「仏(ほとけ)の恩」といいます。

  水道をつくる人は水をみちびき、
  矢をつくる人は矢を矯(た)め(※)、
  大工は木材を矯め、
  賢者は自己をととのえる。

  (『ダンマパダ・第80句』中村元(はじめ)訳)
  
※「矯(た)める」…曲がっているものを伸ばしたり、まっすぐなものを曲げてととのえること。矯正(きょうせい)する。

 
posted by 正翁寺 at 17:40| 日記