私たちは、何かを突然失うと、それがいかに有難かったか、後から気づかされることがあります。
例えば、風邪をひいたときのことを考えてみて下さい。健康って有難いことなんだなと、改めて気づかされ、食べ物や寝る時間などを見直して、健康に努めます。
8月に35℃近い猛暑が続き、雨が降らない日が続くとします。それが2週間も続くと境内の芝生も活気を失い茶色くなってしまいます。ああ、梅雨の雨は有難いものだったのだなあと、改めて気づかされます。
あるいは、地震と津波で、平常の生活が失われたあの平成23年3月11日の東日本大震災では、海辺の町はガレキと化し、多くの人の命が失われました。地球上に生きるということは、地球の大きな活動と共に過ごすことになる為、いつどういう事が起きるか分からない。当たり前に水が飲めて、当たり前に食事をし、当たり前に寝る。これがいかに有難いか、地球様に横っ面をはたかれて、私たちは当たり前が当たり前ではないことを学びました。
それから、たったの9年後に、新型コロナウイルスという、新たな感染症が世界的に流行し、様々な変更を余儀なくされました。初めての緊急事態宣言により、通勤通学者は急減し、会合や食事会はすべて中止となり、飲食店は営業時間と提供するものを制限され、野球やサッカー、大相撲などは無観客となり、NHKのど自慢も中止となった。閑散とした渋谷のスクランブル交差点の報道は、衝撃を受けたものだった。当たり前に仕事ができて、当たり前にスポーツが開催され、当たり前に人と接する。これがいかに有難いか。人との接触を8割減らしたあの期間に、近所のおばさまと交わしたなにげない朝の挨拶は、心の底からうれしかったものでした。
仏教では、私たちが生きるこの世界を「娑婆(しゃば)」といって、忍耐を強(し)いる世界を意味します。ということは、忍耐に苦しんでいるのは、あなただけがそうなのではなく、この世に生きるすべての人々一人一人が忍耐をして生きているということになります。なぜなら、この世の中は「諸行無常(しょぎょうむじょう)」といって、いつも変化していて、いつ何が起こるか分からないからです。
だったら、その変化の一つ一つにくよくよするのではなく、こわれやすく変わっていくにもかかわらず、「今ある当たり前」に思いをめぐらして、その一つ一つに感謝をして過ごしていきたいものです。本日の晴れ、本日の雨、本日のメシ、本日のフロ、そして一番近くにいるあなたよ、いつもありがとう。 合掌