2018年03月06日

惜福 分福 植福(幸田露伴)

 桃の花が元気よく咲いていますが、皆さんいかがお過ごしでしょうか。

 さて今回は、100年に1人の頭脳といわれた幸田露伴(こうだろはん)の『努力論』(1912年初版)に出てくる「惜福(せきふく)・分福・植福」についてです。それを斎藤孝さんが訳して編集しているものを参考にご紹介します。

 まず「惜福(せきふく)」は、福を使い果たしたり、取り尽くしてしまわないことをいいます。えっ?楽しいことや美味しいものなど、福に遭遇したら、当然とことんいただくものでしょ。皆さんそのように考えませんか。

 しかし露伴は、こういいます。福を食い尽くしてしまうと、福に遇わなくなってしまうと。それとは反対に、福を惜しむ人にはまた福に遇うといっています。これは個人に限らず、団体や国家においても同様で、水産業(魚)や林業(樹木)、当時の優れた兵士は、すぐにできるものではないので、惜しまないと不利益を招くことになりますよと指摘しています。

 今でいえば、地球のエネルギーを食い尽くしてしまわないように気をつけなくてはいけません。ライオンがシマウマを食い尽くしてしまわないのはどうしてなのか。この真理を、世界中の人間が見習わなくてはいけません。

 次ぎの「分福」は、何となくお分かりになると思いますが、自分が得た福を他人に分け与えることです。

 さらに露伴(斎藤孝訳)の考えはこうです。福を分かち合う行為は、人間が、飢えたオオカミとは違う高貴なものとなり、「物質的なものを超えた高尚(※こうしょう)な幸福」をその人に与え、他人に物質的な幸福と精神的な幸福を与えるのである。こうした行為は、人類社会を高尚にし、善良にし、楽しいものにする重要な一因子なのだといっています。
 
 ※高尚とは、学問、技芸などが気高くて立派なさま。⇔低劣(『国語例解辞典』小学館)

 いかがでしょうか。ものを分けたりすることはあるかもしれませんが、「精神的な幸福を与えて、人類社会を豊かにしていく」。精神面の福までおすそ分けしていくなんて、なかなか難しいことですね。 

 最後の「植福」は、「自分の力や感情、知恵を使って、世の中に幸福をもたらす物質や情趣(じょうしゅ)、知識に貢献することである。すなわち、人の世の幸福を増進し、長く育てる行為を植福というのである。」とあります。

 福を植えるには、自分自身が、徳を積むこと、真の知識を積むこと。そうすることが、今日の人類の幸福や利益の源泉になっていると教えてくれています。

 学校教育や会社での競争、経済最優先とする政治などを見ていますと、生産性(成績)が最も重視されています。『野村ノート』(野村克也著)の中に、「人生と仕事は、常に連動している。だから、仕事を通じて人間形成、人格形成をしていく」ことが、監督業務五原則の第一番目とされています。

 これは、野球選手だけに限りません。学生なら学業や部活を通じて、母親なら子育てを通じて、年輩の方なら、若者に何かを伝えることを通じて、それぞれの役割や立場の中で、人間形成、人格形成をしていくということです。

 これは、成績や成果といった生産性だけではなく、精神性を大切に磨いていくことになります。精神性を磨くことが、これこそが、露伴がいう「植福」のつくられる元となる。つまり、豊かな国づくりの源は、それぞれの役割を通じて、徳を積み、真理を知っていくということなのです。

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 福を少し惜しみ、福を少しおすそ分けし、福を少しずつ植えていくことについてお伝えしましたが、いかがでしたでしょうか。最後に露伴の言葉(斎藤孝訳)を記して終えたいと思います。

 「力」というものは、大勢の力を合わせたより大きなものはなく、知恵もまた人の知恵を使うより大きなものはない。何ごとも大きなことは、限られた一人の力で成し遂(と)げられるものではないのである。だからこそ、大きな福を得ようとする人は、必ず福を分かち合って独り占めせず、周りの人に福がくるようにと願うようにさせるのである。すなわち、自分の福を分けて多くの人に与え、多くの人によって得た福を自分の福とするのである。 

・参考(幸田露伴著『努力論』〜小さな努力で人生の幸福を増やす法 訳・責任編集 斎藤孝)
  
 

 

posted by 正翁寺 at 18:30| 日記