「『われらここにあって死ぬはずのものである』と覚悟をしよう。――このことわりを他の人々は知っていない。しかし、このことわりを知る人々があれば、争いはしずまる。」(『ダンマパダ第6句』中村元(はじめ)訳)
親と子、夫と妻、上司と部下、友達同士など、人間には様々な関係がある。その関係のある人同士は、大体は助け合っているので、本当ならば感謝の気持ちをいつももっているのが、望ましい。しかし、そのちょっとした考え方の違いで、嫌な気持ちになったり、それが争いにまで発展することがある。
しかし、仏教の祖であるお釈迦様が説かれた冒頭の句にあるように、頭にきた相手であってもいつか必ず死ぬ時が来るし、私にもいつかその時が来る。つまり、私と争っているあなたとは、いつかは必ず別れるときが来ますよ。
というお釈迦様が説かれた不変の真理に照らし合わせてみる。すると、争いどころか、争う相手を愛おしくさえ思えてくる時がある。
スマートフォンという究極の便利なものを扱うことが当たり前になった現代は、自分の望んだ通りにできることが当たり前になっている。そういう完璧に慣れた現代だからこそ、ちょっとした不一致、ちょっとした不都合に、私たちはストレスを感じやすくなっている。こういった精神状態によって、ちょっとしたことに怒りを感じ、それがが発展してしまって、争いが生まれることもある。
しかしながら、視点を広げて、さらに掘り下げて考えてみると、その相手だって不完全で悩み多き同じ人間であり、いつかは死ぬ。そういった弱き人間同士で、できるならば、「慈しみの心」を大きく成長させていき、助け合って生きたいものである。
そもそも、私たちの体内では、寝ているときも酔っ払っているときも怒っているときも、いつでもどこでも常に助け合って連動して調和した活動が成り立っているのだから、助け合うことは、できるのである。
いつか死する時まで、その手や足を使って世の中をより明るくするよう、一緒に努めていきましょう。さあ、令和5年という新たな幕が開きました。明るく仲良く元気良くこの命を楽しんでいきましょう。合掌
