2019年11月02日

ライオンは、シマウマを食い尽くさない。 ところが、人類は…

 正翁寺には、草木地帯がありまして、冬になると草花は枯れ、春になると新芽が出てきて、成長し花を咲かせます。ところが、この何十年、いや、何百年、何千年(?)と続いてきたであろうサイクルが、10数年前から変わり始めてきたのです。

 毎年枯れるはずの草花が、正月を迎えても枯れずに冬を越し、春を迎えることとなりました。

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 もう一つ例をあげます。正翁寺の墓地は、山の斜面にありますので、参道には手すりが設置されています。その手すりを私たちは、毎朝ぴかぴかに拭きあげています。しかし、この手すり拭きは、実は簡単ではありません。なぜなら、アリや虫がいるからです。私たちはそれらを殺さないように、息で飛ばしながら拭いていかなければなりません。その虫たちも、一年中いるわけではなく、冬になりますといなくなります。

 再び地上に出て手すりに上がってくるのは、3月の初旬。虫がはい出る時期とされている「啓蟄(けいちつ)」を迎えるとと、見事に出てくるのです。いやはや、暦の真実性には驚かされます。



 しかし、これはもう過去の話となってしまいました。2年位前からは、節分には手すりに虫がいるんです。つまり、虫がはい出る条件が、1ヶ月も早く整ってしまうんです。温暖化は、夏の気温や台風の大型化だけでなく、じわじわと暖かい時期が長くなっていく現象ともいえるでしょう。土や虫に直接触れる機会がない都会に住む研究者や政治家には分からない変化であります。

 そのうち、蚊やハチが冬を越すことになり、そうなると生態系が著しく変わっていくものだと私は直感しています。都会住まいの研究者や政治家は頭で分析的に理解しているのでしょうけれども、自然といつも関わっている人たちは、自然からの警告を体で感じています。

 この人類史上最大の問題を解決する上で、大切な事は三つ。畏敬と感謝、そして調和です。

 1,畏敬…人類が大自然を恐れ、己の小ささを認識すること。私たちは小さいんです。

 2,感謝…切っても切れない大恩である大自然への感謝と、150年前まで存在しなかった文明の一つ一つに感謝をすること。本当なら日が沈めば暗いんです。明るくできることはすごいことなんですが、本当は不自然なんです。

 3,調和…地球の循環の範囲に私たちの生活を限ること。

 横浜市戸部にある病院には、アフリカサバンナの躍動する動物たちの写真が至るところに飾られています。これは院長先生自らが撮影されたもので、コメントが書かれています。「弱肉強食のアフリカの世界は、生生しくむごい世界だと思っていたが、何回か足を運んでいくうちに気づかされたことがある。それは、この弱肉強食の世界は、実は調和であったんだ」と。

 ライオンは百獣の王であるにも関わらず、シマウマを食い尽し、地球の循環の範囲を超えることまではしません。つまり、地球のはたらきに調和しているのです。そのことを、環境後進国の人々は、学ぶべきです。
posted by 正翁寺 at 16:03| 日記

2019年09月10日

〜おかげさまで〜 電気、ガス、車等の動力源は、生き物の死骸が主となっている

 私たちが生きていく上で、必要不可欠なものは何でしょうか。

 それは、水や空気や食べ物でしょう。いくら優れたアプリを取り入れようとも、上質な化粧品を使おうとも、水や空気や食料がないと話になりません。生きていけません。

 さらに、電気やガスや車も必要です。その原料となっているものは、化石燃料、つまり、動物の死骸です。車を運転する時、お風呂を沸かす時、ご飯を炊く時。みな、動物の死骸のお世話になっているということが言えます。

 成功や失敗、確信や迷い。人生いろいろありますが、現代人は、みな、動物の死骸のおかげで、豊かな生活ができているわけです。 合掌 
posted by 正翁寺 at 16:33| 日記

2019年06月22日

きゅうりのように育ちなさい!(ネルケ無方師)

 皆さんこんにちは。長い梅雨が続いておりますが、いかがでしょうか。

 さて、ドイツ生まれの禅僧、ネルケ無方さんは、お師匠様から「きゅうりのように育ちなさい」と教えられたそうです。きゅうり…?どういうことでしょうか。

 きゅうりは、麻のひもを一本垂らしておけば、勝手に元気よく育っていくものだそうです。では、麻ひもがかったら、きゅうりはどこへ向かって伸びていくのでしょうか。

 ちなみに、ネルケさんは、日本人はトマトだと言います。
 トマトは、三本位支柱を立てないと育たないそうです。つまり、しっかっりと支えてもらって、与えてもらわないと育っていかないということでしょう。

 さらに、ネルケさんは、欧米人はカボチャだと言います。
 自己主張が強く、横にはって育ち、隣のきゅうりやトマトを枯らしていく。

 いかがでしょうか。麻のひもは、お釈迦さまの教えであります。つまり、清らかな指針であります。指針は、日々変化する私たちの心を、適正なところへ戻してくれます。しかし、指針がないと戻ってくることはできなくなるかもしれません。

 「迷い」に満ちた人生だからこそ、基本となる座標のひもが必要なのです。 合掌

posted by 正翁寺 at 11:54| 日記

2019年05月01日

民、善く和(なご)み、また、民、自然とも善く和む。 これ、麗(うるわ)しき大和の始まりなり

 皆さんこんにちは。令和元年をむかえましたが、いかがでしょうか。

 平成は、西暦1989年に始まり、2019年に終わりました。たった30年の間に世の中は著しく変化しましたが、人間も変化したのでしょうか。生物学的に人間は、大昔も今も変わっていないそうですが、ものごとのとらえ方、感じ方は、変化しているようです。

 その大きなきっかけとなったのが、平成23年に起きた、東日本の大地震ではないでしょうか。素晴らしく様々な技術が進歩して、あまり人の世話にならずとも生きていけるような便利な世の中となりました。しかし、結局のところ、人と人は、いざとなったら助け合いが必要ということに気づかされました。また、当たり前の日常がいかに有り難いかということを、バチーンと横っ面をはたかれ、気づかされました。

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(奥松島の月浜で撮影、平成23年5月)

 また、平成の大反省がもう一つあります。それは、地球の温暖化です。世のため人のためと、先人たちがご苦労されて、エネルギーを消費して社会活動を行ってこられたと同時に、地球の温度が上がってしまいました。近年の世界的な見解として、台風や夏の雨の激しさは、地球の温暖化が原因と断定できるようになりました。言い換えれば、あの豪雨や台風は、人間が自ら作り出しているといえてしまうのです。

 新たな時代は、人と人が助け合って、自然と調和していくにはどうすればいいのかを、考えるだけではなく、実行していく。だとすれば、禅寺のシステムは、十数年後には最先端となるのかもしれません。刀狩りではなく、電気狩り令なんて法案が成立したら、大変なことになるかもしれません。でも、それはそれで楽しいかもしれませんね。

 人と人、人と自然が調和する時代となれば、本当に麗しいき日本国となることでしょう。合掌

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(南三陸のあるホテルの売店で撮影、平成29年5月)
posted by 正翁寺 at 16:31| 日記

2019年02月07日

〜おかげさまで〜 悪いことがあると ひとのせいにするが、良かった時も 人のせいにしよう 

 皆さんこんにちは。すんなり暖かくとはいかず、まだまだ寒い日は続きそうですが、いかがでしょうか。

 さて、プロ野球の元監督、野村克也さんの著書『野村ノート』の冒頭に、このようなことが書かれています。

 〜おかげさまで〜
夏がくると冬がいいという、冬になると夏がいいという
太ると痩(や)せたいという、痩せると太りたいという
忙しいと閑(ひま)になりたいという、閑になると忙しいほうがいいという

自分に都合のいい人は善い人だと誉め、自分に都合が悪くなると悪い人だと貶(けな)す
借りた傘も雨があがれば邪魔になる
金をもてば古びた女房が邪魔になる、世帯をもてば親さえも邪魔になる

衣食住は昔に比べりゃ天国だが、
上を見て不平不満に明け暮れ、隣を見ては愚痴(ぐち)ばかり
どうして自分を見つめないか、静かに考えてみるがいい
いったい自分とは何なのか

親のおかげ、先生のおかげ、世間様のおかげの塊(かたまり)が自分ではないのか
つまらぬ自我妄執(じがもうしゅう)を捨てて、得手勝手(えてかって)を慎んだら世の中はきっと明るくなるだろう
おれがおれがを捨てて、おかげさまでおかげさまでと暮らしたい

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 いかがでしょうか。
 
 野村さんはこの言葉にふれて、はっとします。20年以上監督を続けてきて、今の選手に最もかけているものは、「感謝の心」にほかならないと気がつくのです。そして、この「感謝の心」こそが、人間が成長していくうえで最も大切であり、そうした個々の集大成がチームとしての発展につながっていくと記しています。

 私たちは、さまざまな人やものに生かされています。天地自然はじめ、ご先祖様、父、母、兄弟、友人、先生。あるいは、病院、警察、消防、電力、ガス、水道、電車、バス……。さまざまなご縁にお世話になっています。

 うまくいった時は、そのご縁を思い出して、感謝をしましょう。「おかげさまで ありがとう」と。

 ここまで読んでいただいた皆さまに、よきご縁がありますように。 合掌


  
posted by 正翁寺 at 18:52| 日記

2019年01月01日

明日の分からぬ人生で 今日を迎えたこと 誠に有難し

 新年を迎え、皆さま気持ちを新たに、「今年は運動を続けるぞ」とか「今年は言葉づかいに気をつけよう」とか、様々な目標を掲げていることでしょう。

 さて、この「有難い(ありがたい)」とは、字の通り「あることがむずかしい」という意味です。あることが難しいので、「まれだ」という意味となり、まれなものは貴重であるから、「感謝する」とか「うれしい」ということになります。

 いつ何が起こるか分からない人生の中で、地震が来ることもあれば、病気になることもあるし、歩行者だけの道路に車が来ることもなくもない。何が起こるか分からない中で、今日の日を、この平成31年を迎えたことは、簡単で当たり前なようですが、よくよく考えると難しいことです。

 また、ご縁のある人と新年を共に迎えることも、蛇口をひねれば出てくる一杯の水も、スイッチ一つで明るくなる電球一個も、どれも当たり前のように思いがちです。しかし、人でいえば生まれてきて成長するだけでも難しいことですし、水や電気でいえば、水道管や電線が順調で、雨が降ったり、燃料がとれなければいけません。

 いつどうなるか分からない、諸行無常な人生の中で今日の日を迎えられたことは、「十方(※じっぽう)有難し」という真実が満ちているのです。【※「十方(じっぽう)」とは、東西南北、東南・東北・西南・西北と上下】

 このような新年の輝かしい初心を忘れずに、12月を迎えたいものです。皆さまが、清らかな良縁とたくさん出会うことを、祈念申し上げます。合掌

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【参考】『大辞林』三省堂
posted by 正翁寺 at 11:55| 日記

2018年07月13日

ご先祖あっての私、地球環境あってのご先祖、奇跡の連続あっての地球環境

 命に関わるほどの暑い日が続いていますが、皆さまいかがお過ごしでしょうか。

 さて、約2500年前に仏教を起こされた、お釈迦さまの教えの基本は、「縁起(えんぎ)」です。

 一般的に縁起とは、「ものごとの吉凶の前兆」や「起源、由来」を意味しますが、仏教的な意味合い、つまりお釈迦さまが覚(さと)られた「縁起」は、これとは違います。

 それは、『一切のものは(精神的なはたらきを含む)様々な「因(いん)」(=原因)と「縁(えん)」(=条件)によって生(しょう)じるという法則です。

 例えば、袋に入ったヒマワリの種があるとします。このヒマワリの種という「因(いん)」は、このままでは、もちろん花は咲きませんね。様々な「縁(えん)」という、条件を加えることで、ようやっと花を咲かせることができます。

 それにはどういったものが必要でしょうか。土や水、太陽が必要ですね。さらには、ヒマワリを大切に想う人の愛情も加えておきましょう。

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 皆さんが今着ている服も、タイムカプセルに入れて巻き戻してみますと、多くの条件(=縁)が加わっていることが分かることでしょう。この縁起の法則は、物ばかりではなく、私たちの命にも当てはまります。

 それは、縦の線(過去からの様々な条件)と、横の線(今受けている様々な条件)の交わるところに、今の私がいます。

 縦の線を知るには、「今の自分には、過去からのどのような条件が加わってきたのかを考えてみます。」親や先生、友達などたくさんの方々に助けられたり、教わってきたことでしょう。
 
 さらに過去にさかのぼっていくと、もしもあの日あの時あの場所で、あのご先祖様が出会っていなければ、私の今の一呼吸、一鼓動はありません。さらにさかのぼると、地球が何十億年と育んできたことも、いまの私の条件として、はずすことはできません。
 
 「地球カレンダー」というものを知っていますか。地球の誕生から現在までの46億年という途方もない年月を、1年365日で表しているものです。

 ここで問題です。「人類が誕生するのは、何月何日頃でしょうか。」 

 ・1月1日  地球誕生。無数の微惑星が合体と衝突を繰り返しながら原始地球となる。
 ・1月12日 原始地球に天体が偶然衝突し、地球と月が偶然分離する。
 ・2月9日  地殻がほぼ固まってきて、陸と海が生まれる。
 ・2月25日 最初の原始生命が誕生
 ・5月31日 光合成を行う藻が登場し、酸素の放出を始める。
 ・7月18日 大気中の酸素が増えてくる
 ・11月14日オゾン層が形成され、有害な紫外線をさえぎるようになる。
 ・11月20日魚類の出現
 ・11月28日植物が陸へ上がる。節足動物が陸へ上がる。
 ・12月13日恐竜時代が始まる。
 ・12月19日鳥類の出現。
 ・12月26日巨大隕石が偶然激突して恐竜が絶滅。
 ・12月31日23時37分現生人類(ホモ・サピエンス)誕生。
         23時58分52秒農耕牧畜が始まる。
         23時59分46秒キリスト生誕。
             56秒ルネッサンス。
             58秒産業革命。
             59秒20世紀が始まり終わる。
(『参考:地球カレンダー 46億年の歴史を1年で見る・21世紀の歩き方大研究』)

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 人類の出現は、12月の中旬頃と予測しましたが、とんでもない。大晦日になっても人類は出現せず、お昼を回っても出現せず、紅白が始まっても出でこない。番組が終わる頃ようやっと現れます。地球の歴史からすると、私たちの人生は一瞬のまばたきの如くですね。 

 何人ものご先祖様が必死に生きてつないできた命が私であり、そのご先祖様がたも、平穏な地球環境がなければ出現しなかったわけです。その地球環境も奇跡の連続で酸素が満ち、オゾン層が形成され、人類が出現する。

 宇宙の惑星の中で、水や緑が生まれることが奇跡的ならば、雑草一本生えてくることも本当に奇跡的な出来事。ましてや私が生まれてくることなんて、この上なく奇跡的なことであります。その私たちにとって切っても切れない母なる地球は、私たちの根っこ、つまり母体です。
 
 この母体なくして、企業業績が好調になろうとも、この母体なくして人類が宇宙に進出しようとも、この母体なくして、差別や戦争がなくなったとしても、誰一人として心から幸せだなあと言える人はいないでしょう。

 地球が平穏となるには産業革命以前に戻らなければならないそうですが、そんなことは現実的ではありません。産業革命以前の生活水準から今に至る物質的な発展を、心より敬い、感謝して、そして足ることを知って満足していくことが、地球平穏化への第一歩ではないでしょうか。

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 もっともっとではなく、「エアコンの電源を入れさせていただく」「風呂の追いだきのボタンを押させていただく」「日が暮れたにもかかわらず、明るくして過ごさせていただく」すべてのことにエネルギーが使われていることは、まぎれもない事実です。これからの時代、こういった「因果関係を理解した謙虚さ」が求められるのではないでしょうか。
 
 奇跡的な地球環境があって、ご先祖が必死に命をつなぎ、私がいる。お金や車、エネルギーという果実も大事ですが、本当に大事なのは、見えない「根っこ」の部分です。

 



 
posted by 正翁寺 at 19:06| 日記

2018年03月06日

惜福 分福 植福(幸田露伴)

 桃の花が元気よく咲いていますが、皆さんいかがお過ごしでしょうか。

 さて今回は、100年に1人の頭脳といわれた幸田露伴(こうだろはん)の『努力論』(1912年初版)に出てくる「惜福(せきふく)・分福・植福」についてです。それを斎藤孝さんが訳して編集しているものを参考にご紹介します。

 まず「惜福(せきふく)」は、福を使い果たしたり、取り尽くしてしまわないことをいいます。えっ?楽しいことや美味しいものなど、福に遭遇したら、当然とことんいただくものでしょ。皆さんそのように考えませんか。

 しかし露伴は、こういいます。福を食い尽くしてしまうと、福に遇わなくなってしまうと。それとは反対に、福を惜しむ人にはまた福に遇うといっています。これは個人に限らず、団体や国家においても同様で、水産業(魚)や林業(樹木)、当時の優れた兵士は、すぐにできるものではないので、惜しまないと不利益を招くことになりますよと指摘しています。

 今でいえば、地球のエネルギーを食い尽くしてしまわないように気をつけなくてはいけません。ライオンがシマウマを食い尽くしてしまわないのはどうしてなのか。この真理を、世界中の人間が見習わなくてはいけません。

 次ぎの「分福」は、何となくお分かりになると思いますが、自分が得た福を他人に分け与えることです。

 さらに露伴(斎藤孝訳)の考えはこうです。福を分かち合う行為は、人間が、飢えたオオカミとは違う高貴なものとなり、「物質的なものを超えた高尚(※こうしょう)な幸福」をその人に与え、他人に物質的な幸福と精神的な幸福を与えるのである。こうした行為は、人類社会を高尚にし、善良にし、楽しいものにする重要な一因子なのだといっています。
 
 ※高尚とは、学問、技芸などが気高くて立派なさま。⇔低劣(『国語例解辞典』小学館)

 いかがでしょうか。ものを分けたりすることはあるかもしれませんが、「精神的な幸福を与えて、人類社会を豊かにしていく」。精神面の福までおすそ分けしていくなんて、なかなか難しいことですね。 

 最後の「植福」は、「自分の力や感情、知恵を使って、世の中に幸福をもたらす物質や情趣(じょうしゅ)、知識に貢献することである。すなわち、人の世の幸福を増進し、長く育てる行為を植福というのである。」とあります。

 福を植えるには、自分自身が、徳を積むこと、真の知識を積むこと。そうすることが、今日の人類の幸福や利益の源泉になっていると教えてくれています。

 学校教育や会社での競争、経済最優先とする政治などを見ていますと、生産性(成績)が最も重視されています。『野村ノート』(野村克也著)の中に、「人生と仕事は、常に連動している。だから、仕事を通じて人間形成、人格形成をしていく」ことが、監督業務五原則の第一番目とされています。

 これは、野球選手だけに限りません。学生なら学業や部活を通じて、母親なら子育てを通じて、年輩の方なら、若者に何かを伝えることを通じて、それぞれの役割や立場の中で、人間形成、人格形成をしていくということです。

 これは、成績や成果といった生産性だけではなく、精神性を大切に磨いていくことになります。精神性を磨くことが、これこそが、露伴がいう「植福」のつくられる元となる。つまり、豊かな国づくりの源は、それぞれの役割を通じて、徳を積み、真理を知っていくということなのです。

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 福を少し惜しみ、福を少しおすそ分けし、福を少しずつ植えていくことについてお伝えしましたが、いかがでしたでしょうか。最後に露伴の言葉(斎藤孝訳)を記して終えたいと思います。

 「力」というものは、大勢の力を合わせたより大きなものはなく、知恵もまた人の知恵を使うより大きなものはない。何ごとも大きなことは、限られた一人の力で成し遂(と)げられるものではないのである。だからこそ、大きな福を得ようとする人は、必ず福を分かち合って独り占めせず、周りの人に福がくるようにと願うようにさせるのである。すなわち、自分の福を分けて多くの人に与え、多くの人によって得た福を自分の福とするのである。 

・参考(幸田露伴著『努力論』〜小さな努力で人生の幸福を増やす法 訳・責任編集 斎藤孝)
  
 

 

posted by 正翁寺 at 18:30| 日記

2018年01月01日

福徳円満(ふくとくえんまん)

 「福徳」は、福分と徳分のことです。
 
 「福分」は金銭や品物の財物に恵まれ、「徳分」は身についた品性の輝きをいいます。誰もがほしい福徳ですが、そう簡単にはいきません。

 では、福や徳を手に入れるには、どうすればいいのでしょうか。仏教ではこのように説きます。

 いつもに他をよくするように努め、自分には厳しく、時間や物資を粗末にすることなく、わずかな時も物も生かして使う、そのような日常生活を繰り返していくことにより、福も徳も得られると説かれます。(『妙法蓮華経〜普門品』)

 処世術という表面的なテクニックがあるのではなく、徳を積んでいく日常を怠るから、人からの信頼を失うというのです。

 福徳が満ちるには、日常の小さな積み重ねが大切です。福徳を満たす高い目標を掲げ、一年の終わりに初心を振り返って頂ければと思います。皆さまのご多幸と、日本が平穏で豊かであることを祈念申し上げます。合掌

 (参考:『百歳の人生の師からあなたへ』松原泰道)

 

 
posted by 正翁寺 at 16:54| 日記

2017年12月02日

どう終わるかが大事(アレックス・ラミレス)

 皆さんこんにちは。

 早いものでもう十二月です。年末が迫(せま)ってくると、「今年やり残したことは、なかっただろうか」という思いを抱(いだ)きます。

 さて、横浜ベイスターズの監督、アレックス・ラミレスさんは、選手だった頃から「どう始まるかではない。どう終わるかが大事なんだ」と言っていました。

 入学、入社、結婚、出産、あるいは、創業、新築、初打席、初土俵、初当選などなど、初心は気持ちが高ぶり、やる気も十分なのですが、そのようなさわやかでポジティブな目標は、いつの間にやら薄れ、ネガティブな愚癡(ぐち)が浮かんでくることはしばしば。

 皆さま今年はどのような目標をたてましたか。女優の綾瀬はるかさんは、平成29年は「まあるい心」でいることを目標としていました(正翁寺掲示板、平成29年1月1日記載)。

 今年もあと一ヶ月、初心を見つめ直し、悔いのない平成29年を締めくくって下さい。そう、日本シリーズであのソフトバンクに勝ってしまいそうな勢いを見せてくれた、横浜ベイスターズのように。

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(能古島(のこのしま)から撮影した『ヤフオクドーム』)



posted by 正翁寺 at 09:53| 日記

2017年10月17日

中東の人々は言う、「日本はドリームカントリー」と。

 雨の日が続いていますが、いかがお過ごしでしょうか。

 雨が続く日もあれば、カラッと晴れる日もあり、いいこともあれば悪いこともあり、

 色々なことが起きる世の中ですが、私たちは当たり前のものがいざ無くなってみると、その人や物の有り難さに気づき、それらの恩恵を、あとから知ることになります。

 さて、仏教では、四恩(しおん)という四つの恩があります。

 一つ目は、天地の恩。言うまでもありませんが、天地の恵みがなければ生きていくことはできません。雨や太陽、大地や海など、あらゆるものが、相乗(そうじょう)し、和合(わごう)し、その恩恵の中で私たちは生命を維持しています。
 
 とあるテーマパークで、「もしも月がなかったら」というシアターを見たことがあります。もしも月がなかったら、地球には潮の満ち引きや四季もなく、常に強風が吹き荒れていて、背の高い動植物は存在できなかったそうです。つまり地球は、偶然できた月との絶妙なバランスによって、水と緑に恵まれた豊かな状態が保たれているというのです。

 二つ目は、父母の恩。これも言うまでもありませんが、ご先祖がいなければ今の私はここにはいませんし、この正翁寺のホームページを見ていることもありません。ご先祖が出会っては生まれ、生まれては死んでゆく中で、命のバトンが脈々と受け継がれ、私たちにつながってきます。ただし、生まれてきても、世話をしてくれる人がいなければ、生きていくことは困難を極めます。

 生まれたばかりの赤子は、自分で食べることも、排泄して汚れた体を自分で洗うこともできません。世話をしてくれる人の恩恵で生命が保たれ、成長します。

 三つ目は、社会の恩。小さな生命が誕生した時点で、まず病院のお世話になります。病院の先生、看護師、診察する機材や空調設備。さらには病院を建てることを企画した市町村、それを実現させた建築業者、それに関わる人たちを育てた学校等々、多くの社会の恩恵の中、おぎゃ〜と生まれてきます。

 さらに社会の恩恵は、死ぬまで続きます。生きていくには食べていかなくてはいけません。食べ物を生産してくれる農業、漁業、、畜産業の方々。それを運んでくれる流通業者、さらにそれを運ぶ自動車、自動車が走る道路、エンジンを動かすための燃料。そして運ばれた食べ物を管理して売ってくれるスーパー等々、安定した社会は、私たちが生きるために必須です。

 また、電気・ガス・水道。警察・消防・学校。電車・バス・船。電話・郵便・銀行等々。お世話になっている社会の恩恵は、考えるときりがありません。

 特に、銃を持たずとも暮らせる社会は、国土の恩恵といえます。自分の目的は妨害されることなく、当然のように達成できます。会社に行く、学校に行く、買い物に行く、海へ行って、そして当たり前のように帰ってくる。目的が妨げられる状況はほとんどなく、その人次第で目的は達成されます。

 「誰の世話にもならねえ」という人が稀(ま)れにいますが、この因果関係を一つ一つ考えてみますと、何の世話にもならない人は世界中探してもどこにもいませんし、過去にも未来にもそのような人はいないでしょう。

 このような因果関係を分かることを、仏教では「知足(ちそく)」といい、字のごとく、足ることを知るという意味ですが、足りていることに気づく。そして様々な恩恵を自覚せよ。と、たまに顔を出してくる不満足な心を、やさしく収めてくれる宝の教えなのです。

 夏の終わりにたまたま聞いていたラジオから、戦場カメラマンと言われている渡部(わたなべ)陽一さんが、ゆったりとした口調で、こう語っていました。「中東の人たちに、日本のことを話すと、皆さん何て言うか知っていますか。皆さん日本のことを『ドリームカントリー』と言うんです」と。

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(京都「竜安寺」にて撮影)

 この何でもそろっている日本において、あと何が必要か。さらなる技術の進歩か。宇宙の開拓か。いや、せっかくいただいた自分の生命を、ととのった生活習慣や健全な食事で、よりよく調えていく。その調った自分自身を世に活かしていくことが、自分自身も救われ、他をも救っていく、最上の道であり、これを歩む道をを「仏道(ぶつどう)」といい、その恩恵を「仏(ほとけ)の恩」といい、「四つの恩」の最後になります。

  水道をつくる人は水をみちびき、
  矢をつくる人は矢を矯(た)め(※)、
  大工は木材を矯め、
  賢者は自己をととのえる。

  (『ダンマパダ・第80句』中村元(はじめ)訳)
  
※「矯(た)める」…曲がっているものを伸ばしたり、まっすぐなものを曲げてととのえること。矯正(きょうせい)する。

 
posted by 正翁寺 at 17:40| 日記

2017年09月22日

死を自覚することで、かえって「生」が輝いてくる

 お彼岸が明けて、風や虫、遠くに見える景色など、秋らしくなってきましたが、皆さまいかがお過ごしでしょうか。

 さて、あの東日本大震災から6年が過ぎました。あの時の印象は、皆さまの状況、環境などで、いろいろな感じ方があったことでしょう。ただその中でも一つ、共通していたことがあります。それは、平穏な日常が一瞬にして変わってしまったことです。

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(2011年5月、宮城県奥松島にて撮影)

 震源地に近い地域はもちろん、関東にも影響がありました。電車が止まり、信号機も止まりました。そしてガソリンの供給がなくなり、コンビニの棚は品薄になってしまいました。電気の供給を制限するために計画的な停電がありました。そして、知っている方が亡くなりました。

 当たり前のものが、いざ無くなってみると、その有り難さに初めて気づきます。

 これが仏教でいう、「無常観(むじょうかん)の覚(さと)り」です。何も、僧侶でなければ覚(さと)れないわけではありません。小さな子から大人まで、日本中皆さまが覚りました。さっきまでの平穏な日々は、実は有り難かったんだと。そして明日が必ずある保障なんて実はどこにもないことも。

 無常(むじょう)の法則は、環境だけではなく、私たち自身にもにも当てはまります。

 葬儀の時、亡くなった方は、全身をもって最後のメッセージを発します。「皆さんもいつか、こうやって亡くなるんだよ」と。これを自分のことのように受け入れる方は、そう多くはないでしょう。
 
 例えば、一週間後に死んでしまうことが分かったとします。すると、どうでしょう、一日一日をムダに過ごすなんてことはしないでしょう。限りある時間を大切な人に使うのではないかと思います。いつかはやってくる死、これを自覚した時、「今」を大切にせざるを得なくなるはずです。

 最後に、高見順さんの詩を紹介して終わります。
 

『電車の窓の外は』高見順

電車の窓の外は

光にみち

喜びにみち

いきいきといきずいている

この世ともうお別れかと思うと

見なれた景色が

急に新鮮に見えてきた

この世が

人間も自然も

幸福にみちみちている

だのに私は死ななければならぬ

だのにこの世は幸せそうだ

それが私の心を悲しませないで

かえって私の悲しみを慰めてくれる

私の胸に感動があふれ

胸が詰まって涙が出そうになる(『死の淵より』)

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自分の死をしっかりと自覚したとき、

世界は輝いて見えて、生かされていることの喜びに気づく。

そして、本当の生き方とは、と考え始める。


 
 




 
posted by 正翁寺 at 17:20| 日記

2017年06月19日

爪が伸びると切るように 欲の皮も 時々切って 捨てねばならない

 仏教では、この「欲望」は放っておくと、どんどん伸びていき、心を患(わずら)わし、悩ます結果となってしまいますよと教えます。まるで、木を枯らすツルを放っておいたら、いつの間にか巻き付いて樹木が枯れてしまうようなもの。

 このやっかいな欲望を、定期的に剪定(せんてい)する方法、つまり、苦しみの原因を摘んでいく方法が「八正道(はっしょうどう)」という、八つの「人の道」を歩んでいくことですよと、お釈迦さまは説かれました。

 八正道は、文字どおり八つの道からなります。@正見(しょうけん・適正な見解)、A正思(しょうし・適正な分別)、B正語(しょうご・適正な言葉)、C正業(しょうごう・適正な行為)、D正命(しょうみょう・適正な生活)、E正精進(しょうしょうじん・適正な努力)、F正念(しょうねん・適正な心構え)、G正定(しょうじょう・適正な心の統一)。
 
 すべてに「正」の字が付き、すべての訳に「適正な」とあります。お釈迦さまの教えの原点は「中道(ちゅうどう)」です。欲望のおもむくままの快楽主義でもなく、不眠、不休で断食(だんじき)するような苦しい修行でもなく、両極端を離れて、自分を程々に、適正に制御(コントロール)する八つの道が、苦しみの原因を摘み取る唯一の方法なのですよとお示しです。

 A「正思(しょうし)」〜G「正定(しょうじょう)」を習慣化して、自分になじませていきます。そうして@「正見(しょうけん)」の状態に近づけて、悪い束縛から少しずつ解放させていきます。これがお釈迦さまと重なった正しく、安らかで、いきいきとした生き方となります。


 @正見(しょうけん)…苦しみの原因をよく観察して、原因と結果を明らかにする、迷いの雲が晴れた見解。
   ↑
 A正思(しょうし)…悪い欲望が起こることを恐れ、怒りやねたみや恨みによる争いをしないように思念(しねん)する。

 B正語(しょうご)…嘘や両舌(りょうぜつ)、悪口や綺語(きご)などによって起こる災いがないよう、ことばを慎(つつし)む。

 C正業(しょうごう)…殺生(せっしょう)、盗み、邪婬(じゃいん)など、行いを慎む。

 D正命(しょうみょう)…怠惰(たいだ)・歓楽におぼれた生活、過酷な生活、邪な生活を捨てて、道理に適(かな)った生活をする。

 E正精進(しょうしょうじん)…悪心が起きぬよう、善心が起きるように、善心が起きたら増長するように努力する。

 F正念(しょうねん)…身心の平静を常に心がける。常にお釈迦さま(又は仏さま)を念じる。

 G正定(しょうじょう)…行動と思考を統一させる。坐禅。

 いかがでしょうか。突然すべてを変えることは難しいでしょう。年齢、環境、性別などそれぞれの状況の中で、ゆっくりと、一つずつ、着実に中道に近づけていきましょう。大人になってからお箸の使い方を直すのが苦痛なように、小さな頃から少しずつなじませておくと簡単かもしれません。

 苦しみの原因は、伸びきった欲望です。お釈迦さまは、欲望を捨て去れとは説いていません。欲望に執着してしまうと、迷いや惑(まど)いが生まれるから、その「執着を制御」しましょうとお示しです。時々、坐禅をしたり、法話を聞いたり、あるいは体を動かしたり、静かな自然環境でのんびり過ごしたり、定期的に欲望を剪定をして、心を軽やかに、安楽にいきましょう。

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【参考文献:『仏典のことば』 田上太秀】


 
posted by 正翁寺 at 17:17| 日記

2017年03月29日

世のために 学問する

 学問って自分のためにするものでしょう?

 さて、仏教に「利他(りた)」という教えがあります。

 利他とは、他に利益や幸福を与え、救済につとめることをいいます。

 曹洞宗の開祖(かいそ)、道元禅師(どうげんぜんじ)は、「船を置いたり、橋を架けるのも利他の行いですよ」とお示しです。

 そうです、お仕事も利他の行いなんです。

 『おれは誰の世話にもならねえ』と言う方がいますが、よくよく考えてみますと、私たちは様々な社会の恩恵にあずかっています。

 まず始めにオギャーと生まれた時点で、すでに病院やお医者さんのお世話になっている。

 電車もバスも船も、水道もガスも電気も、消防も警察も学校も、農業も漁業も畜産業も、郵便も道路もスーパーも…

 これらが無い世の中を想像してみて下さい。考えられないでしょう。すべてのお世話になっています。

 お仕事は、利益を追求すると同時に、世の中に利益や幸福を与えています。

 いま世の中に起きている深刻な問題は多様にあります。

 例えば、最近は夏が冬よりも長くなってます。その影響で毎年5月に行ってきた草刈りは、4月にやらざる得なくなってしまいました。それにともない海水の温度は上昇し、台風が大型化しています。また、一度に降る雨の量は、極端に多くなってきています。と同時に北極の氷はどんどん溶けていっています。

 どうぞ、点数を取るだけの勉強、親に怒られないための勉強もいいですが、世の中を救うための勉強を、明るく前向きに取り組んでいただきたい。そう願います。

 「情けは人のためならず」ということわざがありますが、

 地域の豊かさ、国の豊かさ、そして地球環境の豊かさは、廻り廻って自分に、さらには子孫に返ってきます。

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posted by 正翁寺 at 14:24| 日記

2017年02月19日

世のために 自己を調(ととの)える

 世のために、自己を調える。

 いやいや、自分のために。お金を稼ぐために。家族のために自分を調えるんじゃないの?

 そのような声が聞こえてきそうですが、さて、お釈迦さまは、「あらゆるものごとは、みな縁起(えんぎ)している」と説かれました。

 縁起って、「縁起がいい」とか「縁起でもない」とか、普段使われている縁起ですが、縁起にはもう一つ意味があります。それは、「この世のあらゆるものは、縁(えん)によって起こっている」という意味です。つまり、ここでいう『縁起』とは、「結果を引き起こす原因」という意味です。

 何もない青空に、気象条件という様々な「縁(結果を引き起こす原因)」が加わり雲が発生します。さらに様々な縁により、やがて雲は雨雲に発達し、雨が降ります。山からしぼれた雨水は、低い方へと集まり川となる。私たちは、その水を引き込んで、飲み水や田畑に利用して、飲んだり食べたりして今日の命が保たれ、生まれては死に、命のバトンが受け渡され、今呼吸をしながら、正翁寺のホームページを見ている。

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 今周りで起こっている環境、今自分の中で起こっている心境は、様々な縁によって起こっています。つまり、私は縁起しています。

 身につけている、服も、めがねも、食べ物も、電車も、道路も、字が読めることも、足し算ができることも、温暖化した環境も、原因があって起こっています。

 そこで、お釈迦さまは、あらゆるものごとは、縁によって起こっているのだから、心の状態をよく観察し、苦しい結果となる原因(悪)を防ぎ、楽な結果となる原因(善)に励みなさいと説かれています。

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 縁起の法則に当てはめてみますと、世界中の存在・事象は、互いに関わり合っていて、その関わりを離れては存在できません。つまり、この世界に存在するものは、すべて支え合い、助け合って、蜘蛛の巣状のネットワークの中で、持ちつ持たれつ生かされている。と同時に、他を生かしてもいます。

 そう、自分をよく調えることは、結局周りに善い影響を与えることになってしまうのです。

 ものに溢れ、何の妨げもなく平和に過ごせる日本の私たちにできることは、情報に振り回されず、肉や酒やゲームに振り回されない、堅固な自分をつくること。

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 堅固な自分作りは、日常生活を調えること。さらには、腸内環境を調え、呼吸を調えて、そして難儀な心を調えましょう。世のために。



posted by 正翁寺 at 14:57| 日記

2017年01月01日

浄(きよ)く 正しく 堂堂と 

 皆さま新年を迎え、新たな気持ちが湧いていることでしょう。どのような目標や願いを掲げましたでしょうか。

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 さて、お釈迦さまの教えに、「善(よ)いことをし、悪(わる)いことをせず、心を浄(きよ)めていくこと、これが過去のお悟りを開かれた仏さま方の教えである」とあります。これは平成28年10月にもご紹介しました。
 
 善いことをして、悪いことをしないということぐらい、小さい子でも分かることです。しかし、ポイントは、「心を浄(きよ)めていくこと」です。私たちは、何の戒め(いましめ)もなく生活していては、欲望という汚れが少しずつ心に付着し蓄積していきます。

 それを取り払うプロセスが、お釈迦さまから伝わる八正道(はっしょうどう)です。八正道は、八つの聖なる道といわれることから、八聖道(はっしょうどう)と表されることもあります。

 @正見 …適正な見解
 A正思 …適正な分別
 B正語 …適正な言葉
 C正業 …適正な行為
 D正命 …適正な生活
 E正精進…適正な努力
 F正念 …適正な心構え
 G正定 …適正な心の統一

 すべてに「正」が付き、すべての訳に「適正な」とあります。お釈迦さまの教えの原点は、「中道(ちゅうどう)」といって、欲望のおもむくままの快楽主義でもなく、不眠、不休で断食(だんじき)するような苦しい修行でもなく、両極端を離れます。

 それからよく勘違いされるのは、お釈迦さまの教えは、欲望を無くすのではありません。例えば、金銭欲がなくなってしまったら、働く意欲が湧いてきませんし、経済は止まってしまいます。性欲がなくなれば、子孫が繁栄しなくなります。名誉欲がなくなれば、組織を善い方へ導くリーダーが出てこなくなります。

 お釈迦さまの教えは、離欲(りよく)といって、欲に依存したり執着するのではなく、欲との適正な距離を保ちます。欲望を程々に、適正に制御(コントロール)しましょうね。というものなのです。

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 さて、八正道(はっしょうどう)を例に挙げますと、坐禅(ざぜん)は、姿勢を調えて、呼吸を調えて、ぐちゃぐちゃした心を統一させる「G正定(しょうじょう)」に当たります。また、生き物をむやみに殺さない、与えられていないものを盗まないといった教えは「C正業(しょうごう)」に当たり、嘘を言わない、他人をけなさないといった教えは「B正語(しょうご)」に当たります。
 
 また、不眠不休で働き続けることは、D適正な生活とはいえませんし、E適正な努力ともいえません。また、誰かの幸せを聞いたとき、喜びよりもねたんでしまう心は、F適正な心構えとはいえません。

 この八正道に当てはめた苦でもなく楽でもない、中道の日常生活が、心に付着するゴミを浄化し、浄(きよ)らかな仏の心が少しずつ磨き現れてきます。

 心というフィルターを通して、見たり感じたりする私たちは、浄らかな心が現れることで、@安らかで、楽しく自由な世界が広がっていくことでしょう。

 しかし、安らいだ心でさえも、気圧の関係や、二日酔いなどで、人の心は日々変化しています。そんなときでも八正道を知っていれば、大きく外れそうな心を、正常な座標軸に近づけておくこともできます。

 紛争や食料難などがない、平穏な日本に住む私たちが、より高みを目指す目標は、八正道の日常生活に自分を当てはめて、善く自分を調えていき、自分が持つ生命機能を上向きにさせていくことです。

 ゲームやスマートフォンとの程よい距離を保ち、適正な日常生活を心がける。そうして心を浄らかにし、堂堂と世界を引っ張っていく。それくらいの大きな気概を持っていきたいものです。

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最後に、女優の綾瀬はるかさんは、NHKのおはよう日本でこのような目標を掲げていました。

 「まあるい心」

 忙しくなったりすると、とがった心になってしまうそうです。

 浄(きよ)く、正しく、堂堂と、まあるい心で、日常生活を歩んでまいりましょう。本年もよろしくお願いします。


 
posted by 正翁寺 at 17:46| 日記

2016年12月03日

平成二十八年師走、芝は青く、草は枯れず。これでいいのか。

 十二月です。早いもので、今年も残すところあと一ヶ月を切りました。春のように暖かい日が続き、大変助かります。しかし、12月にもかかわらずこの暖かさ、何か気になりませんか。

 さて、正翁寺の本堂に向かって左の方に、原っぱがあります。例年ここの草は、1月頃には枯れてしまい、辺りは茶一色となります。そして3月を過ぎるころ、茶色の原っぱの中に緑色をした新芽がちらほら色づいてきて、春の喜びを感じる。毎年これを当たり前のことのように思っていました。しかし、平成28年1月、2月と、原っぱの草は緑色のまま。そして、草は枯れることなく3月を迎えるこことなったのです。

 曹洞宗を開かれた、道元禅師(どうげんぜんじ)は、鎌倉時代に正法眼蔵(しょうぼうげんぞう)という書物を残されました。その中にこのようなことが書かれています。

 『因果(いんが)の道理、歴然(れきねん)としてわたくしなし』(正法眼蔵『深信因果(じんしんいんが)』より)

 「原因と結果の関係性は、ハッキリとしていてごまかしようがなく、公平無私(こうへいむし)なのですよ」といった内容です。結果には、必ず原因があり、その「因果の法則」は公平で、ごまかせません。

 例えば、透明なコップにきれいな水が入っているとします。その中に、黒い墨を一滴ずつ入れていきます。すると、コップの水はごまかしようがなく、黒色に染まっていきます。「黒色に染まった水」という結果の原因は、「墨」です。

 また、肥満になる原因を考えていくと、アルコールだったり食事の内容、あるいは食事の時間やタイミングなど様々な原因が考えられます。さらに、内面的な原因を考えていくと、ストレスであったり、静寂な時間が少なかったり、運動不足であったり、呼吸が浅かったり、腸内環境が整っていない等々、様々な因果関係が見えてきます。

 そうやって原因を突き詰めて、根本を少しずつ善良な方向へもっていくことは、実はお釈迦さまが説かれた「縁起(えんぎ)」の教えなのです。

 自分自身に善い原因を与えて、すっきりとした状態をつくっていきます。「稲盛和夫と福島の子どもたち〜人は何のために生きるのか」という本の中で、「ひとは、善いことを思い、善いことを実行していくことで、善い運命をつくっていくことができるんですよ」と、「因果の法則」について書かれています。 

 温暖化している地球に、何らかの善い原因を与えていく、もしくは悪い原因ををさぐって、少しずつ取り除いていく。そんな時が来ているのではないでしょうか。温暖化はすぐそこに迫っているどころか、もう結果として現れています。それに対する意識は、国民の、いや、地球人の必須課題といえるでしょう。

 遊ぶことも、食べることも、お金を稼ぐことも、全ては、地球環境が落ち着いていることが大前提ですので。

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◎参考:正翁寺報「まんぷく通信」.pdf


 
posted by 正翁寺 at 10:41| 日記

2016年10月16日

技術に限界あれども 心の伸びしろは無限である      〜広島カープコーチ 石井琢朗

 石井琢朗コーチは、2008年までの20年横浜ベイスターズで活躍し(入団当初は横浜大洋ホエールズ)、その後広島カープに移籍し、4年後に引退。現在はコーチとして活躍しています。ちなみに、2006年には史上34人目となる2000本安打を達成しています。
 
 石井さんは、ベイスターズ時代の20年は、打つ、走る、守るといった「技術の伸びしろ」を求め続けていました。しかし、広島に移籍してからは、一つの勝利、一つの守備、ファンからの声援、なにげない生活での一コマなど、小さなことでも、喜びを感じるように、意識が変わったといいます。

 そして、「何かを得たい」「ほしい」といった意識から、反対に、「与えたい」「カープに恩返しがしたい」と変わっていったそうです。苦悩から見えてきたもの、それは、限界のある技術面ではなく、限界のない「心の伸びしろ」、つまり内面性の大切さだったのです。

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 お釈迦さまのことばに、「善(よ)いことをし、悪いことをせず、心を浄(きよ)めていくのが、過去の悟った仏たちの教えである」とあります。善いことをし、悪いことをしないのは分かりますが、ポイントは、心を浄めることです。それが、石井さんが言っている「与えよう」という意識です。
 
 落ち葉をたった5分だけ掃くにせよ、お皿をたった10枚だけ洗うにせよ、「与えよう」という意識を持つだけでも、心がほんの少しでしょうけれど、浄められ、喜びを感じられる意識が、少〜しずつ醸(かも)し出されてくる。そんな小さな繰り返しと積み重ねに因(よ)るものが、安楽な、喜びを感じられる世界なのではないかと思います。

 石井さんは言います、「心の伸びしろ」を意識するだけでも、人間的にも強くなれます。私たちには、まだまだ成長する余地が残されているのですよと語っています。

 技術には、限界や個人差はありますが、心の伸びしろは、無限に伸ばすことができるのです。 
         
   
   【参考文献「心の伸びしろ」石井琢朗著】

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posted by 正翁寺 at 10:17| 日記

2016年08月05日

墓参りや仏壇参りが、子どものやさしさを、醸成(じょうせい)させる


・醸成(じょうせい)…ある気運・情勢などを次第に作り上げて行くこと。醸(かも)し出すこと。(三省堂『大辞林』より)



 日本香堂と尾木直樹師が、子どもたちの「供養経験」と「やさしさ」の関係性を調査し、その結果が発表されました。

 調査結果に対し、尾木師は、「教科書や口頭だけの道徳教育よりも、具体的な「祈る行為」が、確実に子どもたちの中にコンパッション(やさしさ・思いやり)を醸成し、高めることを暗示している」とのコメントも寄せられているそうです。

 さらに、「子どもたちの中で、『先祖』をはじめとする目に見えない対象への感謝や畏敬の念が、墓参り・仏壇参りといった習慣的な行為を通して意識化され、内面化され、それが『他者へのコンパッション(やさしさ・思いやり)』の涵養(かんよう=徐々になじませて養い育てること)にもつながっている」との可能性が浮かび上がり、

我が国の家庭文化として、長きにわたり個人の人格形成や精神的熟成に寄与してきた「供養」に対する再確認・再評価を現代社会に迫る仮説検証であり得たと思料するものだと、調査結果の中で記されています。

 仏教では、習慣力を大事にします。「修行」という言葉も、サンスクリット語で『バーバナ』と言って、「反復」という意味もあります。

 太陽と連動して早朝に起床し、坐禅をして、呼吸を調えて心を調えて、そして朝のお勤めで、感謝を述べ、皆様の供養と幸せを願う。そして食事をする際は、いま目の前にある食事がどのような経緯でここに運ばれてきたのかを考え、こんな私にこの命を食べる資格があるだろうかと反省し、自己を調えて、他に生かす悟りの道を成し遂げることを誓います。

 こんなことを日々反復していきますと、半年で変わってきます。習慣の力は偉大です。

 先祖供養を通じて、ちょっとした感謝、ちょっとした畏敬の念を日々繰り返していって下さい。

 小さな机に、本尊さまを祀り(曹洞宗の三つ折り三尊仏は三千円位で購入できます)、湯飲み茶碗にお線香を立てる灰を入れれば立派なお仏壇の完成です。毎朝、お水やご飯などを供えて下さい。

 大切なことは、値段よりも日々続けていくこと、そして頭で考える理屈よりも、実践することです。
 
 

 詳しくはこちらをお読み下さいhttp://www.nipponkodo.co.jp/blog/wp/wp-content/uploads/2015/09/8bfc5ffbef190a75752ec2b8149fa8c0.pdf
posted by 正翁寺 at 19:04| 日記

2016年06月18日

水なければ、作物育たず 作物なければ、私育たず 水に感謝!雨に感謝!

 
 よく仏教って何ですかと聞かれることがあります。

 仏教とは、お釈迦さまの教えです。

 では、お釈迦さまの教えとは、何なのでしょうか。

 たくさんの教えの中でも代表的なものは、『縁起(えんぎ)』です。

 よく、「縁起がいい」とか、「縁起でもない」とか使われる『縁起』です。しかし、それとは意味が違います。

 仏教で言う『縁起』とは、「この世のあらゆるものは、縁(えん)によって起こっている」というものです。ここでいう『縁』とは、「結果を引き起こす原因」という意味です。

 例えば、袋に入ったひまわりの種をそのままにしておいても、芽は出てきません。種に土や水、お日様の光、さらに人の愛情といった『縁』が加わることで、芽を出し、成長し、やがて花を咲かせます。

 私たちの命も同じです。私たちも急にそこら辺から生まれてくるのではなく、縁によって生まれてきます。

 ご先祖の出会いの縁でこの世に生まれ、生まれたからといって、そこら辺に放っておかれては死んでしまします。

 ごはんを食べさせてくれる人がいて、便の始末をしてくれる人がいて、字の読み方を教えてくれる人がいて、様々な縁をいただきながら成長していきます。

 特に、私たちは、食べ物を食べていかなければ生きていくことはできません。食べ物が口に入るまでの原因をさかのぼっていくと、作ってくれる人がいて、買ってきてくれる人がいて、買うための費用を得てくれる人がいます。

 さらに、食べ物を生産してくれる人がいて、太陽の恵み、雨の恵みがなければ、その作物は成長していくことはできません。

 雨の日は、あまり快適とはいえませんが、「雨」を「縁起の教え」に照らし合わせてみますと、雨の恵みは、私たちの「生命の源」であることが分かってきます。そう、私たちは、「雨」に感謝してもしきれないほどお世話になっているのです。

 水がなければ、作物は育たなく、作物がなければ、私も育ちません。水に感謝、雨に感謝であります。

 雨の日も晴れの日も、皆様の毎日が、好(よ)き日でありますように。

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posted by 正翁寺 at 09:09| 日記