2020年06月23日

〜がんばれ人類〜  パリ協定の目標達成には、この慎みを10年続けよう

 まずはじめに、コロナウイルスで命を落とした多くの方々のご冥福を祈念いたすとともに、ご遺族はじめ関わる方々に哀悼の意を表します。

 さて、「コロナウイルスに打ち勝つ」とか「勝利しよう」。このようなメッセージが国内外問わずよく叫ばれていますが、皆さまはどのように考えますか?

 本題に入る前に、皆さま「パリ協定」というものをご存じでしょうか。
 近年の地球の温暖化は、自然現象説もありましたが、最新の報告では、人為的な可能性が極めて高いと言われています。つまり、私たち人類の活動が原因で地球の温度は上がり、生態系への影響や、異常な気象状況を作り出してしまっているというのです。

 このままのペースで行くと、2100年には地球の平均気温は、4.8℃上昇すると言われており、平均気温が4℃を超えてしまうと、今当たり前に食べている多くの食べ物が生産できなくなってしまうといった、危険な暗い未来を迎えてしまうことになるのです。

 そんな最悪な状況を迎える前に、みんなで行動を変えて地球の温度の上昇を、産業革命前から最低でも2℃未満に、できれば1.5℃未満に抑えて、明るく楽しい未来を迎えましょう。といって2015年に、すべての国の合意でできた約束が「パリ協定」です。

▲IMG_1454.JPG

 この約束は、非常に高いハードルと言われていますが、世界中の人々が、今回のコロナウイルスのパンデミック(世界的流行)で、往来の封鎖や行動の自粛を余儀なくされたことで、温暖化ガスの排出量が大きく減って、このままのペースで行くと、2020年の温暖化ガス排出量は、パリ協定の目標値である、7.6%削減を上回る「8%削減」という試算が打ち出されたのです。(6/19日本経済新聞)

 ただし、7.6%削減の状態を2030年まで続けましょうという目標ですから、大変な話です。しかし、人類がどのように行動すればどれほどの削減になるのかピンとこない数値でしたが、具体的に知ることができました。すでに、イギリスでは空が明るくなって澄んできていると言われています。

▲IMG_2481.JPG

 観光産業や航空や運輸に関わる方々には、心苦しい結論となってしまいますが、いくら億千万円あっても作物や動物がいきいきと生きて、それをいただかなければ私たちも生きていくことはできません。これは子どもでも分かる論理です。WWF(国際自然保護基金https://www.wwf.or.jp
がうったえるように、「化石燃料は世界を豊かにしてくれない」という事実を、人類はいよいよさとらなければいけません。

▲IMG_2488.JPG

 仏教には、「知(ち)足(そく)」という、人類を豊かにしてくれる素晴らしい教えがあります。文字どおり、「足るを知る」ということです。電車や車があるだけでもすごいと思いませんか。離れた人と話ができるだけでもとんでもないことだと思いませんか。

 5Gだ宇宙だという前に、自分を取り巻く産業革命以降の先人たちの汗水のつまった素晴らしい文明に、そして、美しい四季折々の自然、その自然が作り出す空気、食べ物の源である大地や海に対して、すごいなあ。ありがたいなあ。と、事実を実感することが大切です。

 人類目線で見ると、「コロナに打ち勝つ」となりますが、地球目線で見ますと、「これ以上温暖化ガスを止めるにはどうすればいいのかなあ。どうすれば人間たちは、自分たちの首をしめていることに気づいてくれるのかなあ」と知恵をしぼるのではないでしょうか。

▲IMG_5097.JPG

『諸々(もろもろ)の苦悩を脱せんと願えば、まさに知(ち)足(そく)を観(かん)ずべし。知足の法は、即(すなわ)ちこれ富(ふ)楽(らく)安穏(あんのん)のところなり。

 知足の人は、地上に臥(ふ)すと雖(いえど)もなお安楽(あんらく)なりとす。不知(ふち)足(そく)の者は天堂(てんどう)に所(しょ)すといえども、また心にかなわず。

 不知足の者は富めりといえどもしかも貧し、知足の人は貧しといえどもしかも富めり。』遺(ゆい)教(きょう)経(ぎょう)(お釈迦さま亡くなる前の最後の教え)より

▲IMG_6375.JPG

 願うところは、この功徳によって、すべての生きとし生けるものが幸福に暮らせますように。
そして、さとりの光が現れますように。  合掌


(「IPCC」記述参照)https://www.jccca.org/ipcc/ar5/wg1.html )






posted by 正翁寺 at 11:49| 日記

2020年03月20日

〜苦は楽の種〜 苦しい時に出た気づき(さとり)は 未来への財産

 皆さんこんにちは。正翁寺のホームページへようこそ。

 今、コロナウイルスの感染が世界中に広がり、死者も出て大変な騒ぎとなっています。こういった苦しい事態は、今回の事態に限らず、人生において何度でも訪れます。

 しかし、苦しい時って、もがいてもがいてはい上がろうとします。病気になると、普段なら読まないはずの難しい本を読みあさったりします。そして、「ああ、こういうことだったのか」と気づくことがあります。

 気づくことを、インドの古典語、サンスクリット語で「サティ」といいます。このサティは、小さなさとりでもあります。お酒を飲み過ぎると、明日がつらくなってしまう。これも一つのサティです。

 現在様々な自粛の要請で、学校の休校や催しの中止などが相次ぎます。そこで、本当に世の中に必要なものって何だろうと、見えてくるものがあります。それが、サティです。

 苦しみもがいた末のサティを、どこかに刻み、自分の人生であったり、世の中の為であったり、未来に活かせればいいですね。

 苦は楽の種。どうぞ大いに苦しんで、あなたに素晴らしいサティが生まれるますよう祈念いたします。合掌 
posted by 正翁寺 at 10:12| 日記

2020年01月02日

自浄其意(じじょうごい)

 皆さん、こんにちは。年が改まり、新たな清々(すがすが)しいお気持ちで元旦を迎えたことでしょう。

 さて、今回の「自浄其意」ですが、そのまま漢文で読むと「じじょうごい」と読みます。

 もう少し分かりやすく、書き下してみますと、「自(みずか)ら其(そ)の意(い=心)を浄(きよ)くす」と読むことができます。

 これは、仏教の根本的な教えであります四句のうちの一つなんです。四句すべて記して見ていきましょう。

@諸悪莫作(しょあくまくさ)−もろもろの悪をなすことなく 
A衆善奉行(しゅぜんぶぎょう)−もろもろの善を行い
B自浄其意(じじょうごい)−自ら其の心意(こころ)を浄(きよ)くす
C是諸仏教(ぜしょぶっきょう)−是(これ)がもろもろの仏(ほとけ)の教えなり

 となります。

 さらに簡単に訳しますと、「悪いことをせず、善いことをする。そして、自分の心を浄(きよ)くしていく。これが、仏教の教えですよ。」となります。

 な〜んだ。そんなこと3歳の子どもでも分かるわい、と思うでしょう。しかしですね、仏教の特色が大きく出ているのが、今回記した3句目「自分の心を浄(きよ)くしていく」ことなんです。

 綺麗に拭きあげたはずの床に少しずつほこりが着いていくように、私たちの心も日々少しずつほこりが着いていき、放っておくと頑固な汚れとなってしまいます。日々歯をみがいたり、衣類を洗濯するように、仏さまの教えに触れたり、あるいは学んだ教えを行動に移してみたりして、心を洗濯していきます。

 特別なことなどしなくても結構です。日常の中で口にする言葉や考え方、あるいは行動を少しだけ「善意(ぜんい)」に近づけるだけで充分です。自分の力量以上の極端な善意な行為は、疲れたり、ストレスとなって、かえって大きなゴミが付着してしまいます。少しずつで結構ですので、習慣化していき、意識せずともできるようになれば、また次のステージに移っていけばいいのです。

 皆さんには、それぞれの役割があると思います。学生なら、勉強や部活動。大人なら、仕事やそ子育てあるいは、孫育て。それぞれの役割を通じて、自身の人間形成をしていきましょう。

 気がつけば、いつの日か無理のない慈悲の行為が自然とできるようになることでしょう。そうやって浄らかな「おもてなし」が実現できれば、大成功といえるのではないでしょうか。

 自分の心を浄くしていくこと。それが、仏教の教えのベースにあることだと知っていただければと思います。 
 合掌
posted by 正翁寺 at 13:05| 日記

2019年11月02日

ライオンは、シマウマを食い尽くさない。 ところが、人類は…

 正翁寺には、草木地帯がありまして、冬になると草花は枯れ、春になると新芽が出てきて、成長し花を咲かせます。ところが、この何十年、いや、何百年、何千年(?)と続いてきたであろうサイクルが、10数年前から変わり始めてきたのです。

 毎年枯れるはずの草花が、正月を迎えても枯れずに冬を越し、春を迎えることとなりました。

IMG_8746.JPG

 もう一つ例をあげます。正翁寺の墓地は、山の斜面にありますので、参道には手すりが設置されています。その手すりを私たちは、毎朝ぴかぴかに拭きあげています。しかし、この手すり拭きは、実は簡単ではありません。なぜなら、アリや虫がいるからです。私たちはそれらを殺さないように、息で飛ばしながら拭いていかなければなりません。その虫たちも、一年中いるわけではなく、冬になりますといなくなります。

 再び地上に出て手すりに上がってくるのは、3月の初旬。虫がはい出る時期とされている「啓蟄(けいちつ)」を迎えるとと、見事に出てくるのです。いやはや、暦の真実性には驚かされます。



 しかし、これはもう過去の話となってしまいました。2年位前からは、節分には手すりに虫がいるんです。つまり、虫がはい出る条件が、1ヶ月も早く整ってしまうんです。温暖化は、夏の気温や台風の大型化だけでなく、じわじわと暖かい時期が長くなっていく現象ともいえるでしょう。土や虫に直接触れる機会がない都会に住む研究者や政治家には分からない変化であります。

 そのうち、蚊やハチが冬を越すことになり、そうなると生態系が著しく変わっていくものだと私は直感しています。都会住まいの研究者や政治家は頭で分析的に理解しているのでしょうけれども、自然といつも関わっている人たちは、自然からの警告を体で感じています。

 この人類史上最大の問題を解決する上で、大切な事は三つ。畏敬と感謝、そして調和です。

 1,畏敬…人類が大自然を恐れ、己の小ささを認識すること。私たちは小さいんです。

 2,感謝…切っても切れない大恩である大自然への感謝と、150年前まで存在しなかった文明の一つ一つに感謝をすること。本当なら日が沈めば暗いんです。明るくできることはすごいことなんですが、本当は不自然なんです。

 3,調和…地球の循環の範囲に私たちの生活を限ること。

 横浜市戸部にある病院には、アフリカサバンナの躍動する動物たちの写真が至るところに飾られています。これは院長先生自らが撮影されたもので、コメントが書かれています。「弱肉強食のアフリカの世界は、生生しくむごい世界だと思っていたが、何回か足を運んでいくうちに気づかされたことがある。それは、この弱肉強食の世界は、実は調和であったんだ」と。

 ライオンは百獣の王であるにも関わらず、シマウマを食い尽し、地球の循環の範囲を超えることまではしません。つまり、地球のはたらきに調和しているのです。そのことを、環境後進国の人々は、学ぶべきです。
posted by 正翁寺 at 16:03| 日記

2019年09月10日

〜おかげさまで〜 電気、ガス、車等の動力源は、生き物の死骸が主となっている

 私たちが生きていく上で、必要不可欠なものは何でしょうか。

 それは、水や空気や食べ物でしょう。いくら優れたアプリを取り入れようとも、上質な化粧品を使おうとも、水や空気や食料がないと話になりません。生きていけません。

 さらに、電気やガスや車も必要です。その原料となっているものは、化石燃料、つまり、動物の死骸です。車を運転する時、お風呂を沸かす時、ご飯を炊く時。みな、動物の死骸のお世話になっているということが言えます。

 成功や失敗、確信や迷い。人生いろいろありますが、現代人は、みな、動物の死骸のおかげで、豊かな生活ができているわけです。 合掌 
posted by 正翁寺 at 16:33| 日記

2019年06月22日

きゅうりのように育ちなさい!(ネルケ無方師)

 皆さんこんにちは。長い梅雨が続いておりますが、いかがでしょうか。

 さて、ドイツ生まれの禅僧、ネルケ無方さんは、お師匠様から「きゅうりのように育ちなさい」と教えられたそうです。きゅうり…?どういうことでしょうか。

 きゅうりは、麻のひもを一本垂らしておけば、勝手に元気よく育っていくものだそうです。では、麻ひもがかったら、きゅうりはどこへ向かって伸びていくのでしょうか。

 ちなみに、ネルケさんは、日本人はトマトだと言います。
 トマトは、三本位支柱を立てないと育たないそうです。つまり、しっかっりと支えてもらって、与えてもらわないと育っていかないということでしょう。

 さらに、ネルケさんは、欧米人はカボチャだと言います。
 自己主張が強く、横にはって育ち、隣のきゅうりやトマトを枯らしていく。

 いかがでしょうか。麻のひもは、お釈迦さまの教えであります。つまり、清らかな指針であります。指針は、日々変化する私たちの心を、適正なところへ戻してくれます。しかし、指針がないと戻ってくることはできなくなるかもしれません。

 「迷い」に満ちた人生だからこそ、基本となる座標のひもが必要なのです。 合掌

posted by 正翁寺 at 11:54| 日記

2019年05月01日

民、善く和(なご)み、また、民、自然とも善く和む。 これ、麗(うるわ)しき大和の始まりなり

 皆さんこんにちは。令和元年をむかえましたが、いかがでしょうか。

 平成は、西暦1989年に始まり、2019年に終わりました。たった30年の間に世の中は著しく変化しましたが、人間も変化したのでしょうか。生物学的に人間は、大昔も今も変わっていないそうですが、ものごとのとらえ方、感じ方は、変化しているようです。

 その大きなきっかけとなったのが、平成23年に起きた、東日本の大地震ではないでしょうか。素晴らしく様々な技術が進歩して、あまり人の世話にならずとも生きていけるような便利な世の中となりました。しかし、結局のところ、人と人は、いざとなったら助け合いが必要ということに気づかされました。また、当たり前の日常がいかに有り難いかということを、バチーンと横っ面をはたかれ、気づかされました。

IMG_1544.JPGIMG_1545.JPG
(奥松島の月浜で撮影、平成23年5月)

 また、平成の大反省がもう一つあります。それは、地球の温暖化です。世のため人のためと、先人たちがご苦労されて、エネルギーを消費して社会活動を行ってこられたと同時に、地球の温度が上がってしまいました。近年の世界的な見解として、台風や夏の雨の激しさは、地球の温暖化が原因と断定できるようになりました。言い換えれば、あの豪雨や台風は、人間が自ら作り出しているといえてしまうのです。

 新たな時代は、人と人が助け合って、自然と調和していくにはどうすればいいのかを、考えるだけではなく、実行していく。だとすれば、禅寺のシステムは、十数年後には最先端となるのかもしれません。刀狩りではなく、電気狩り令なんて法案が成立したら、大変なことになるかもしれません。でも、それはそれで楽しいかもしれませんね。

 人と人、人と自然が調和する時代となれば、本当に麗しいき日本国となることでしょう。合掌

DSC_0033.JPGDSC_0032.JPGDSC_0031.JPG
(南三陸のあるホテルの売店で撮影、平成29年5月)
posted by 正翁寺 at 16:31| 日記

2019年02月07日

〜おかげさまで〜 悪いことがあると ひとのせいにするが、良かった時も 人のせいにしよう 

 皆さんこんにちは。すんなり暖かくとはいかず、まだまだ寒い日は続きそうですが、いかがでしょうか。

 さて、プロ野球の元監督、野村克也さんの著書『野村ノート』の冒頭に、このようなことが書かれています。

 〜おかげさまで〜
夏がくると冬がいいという、冬になると夏がいいという
太ると痩(や)せたいという、痩せると太りたいという
忙しいと閑(ひま)になりたいという、閑になると忙しいほうがいいという

自分に都合のいい人は善い人だと誉め、自分に都合が悪くなると悪い人だと貶(けな)す
借りた傘も雨があがれば邪魔になる
金をもてば古びた女房が邪魔になる、世帯をもてば親さえも邪魔になる

衣食住は昔に比べりゃ天国だが、
上を見て不平不満に明け暮れ、隣を見ては愚痴(ぐち)ばかり
どうして自分を見つめないか、静かに考えてみるがいい
いったい自分とは何なのか

親のおかげ、先生のおかげ、世間様のおかげの塊(かたまり)が自分ではないのか
つまらぬ自我妄執(じがもうしゅう)を捨てて、得手勝手(えてかって)を慎んだら世の中はきっと明るくなるだろう
おれがおれがを捨てて、おかげさまでおかげさまでと暮らしたい

▲IMG_0867.JPG

 いかがでしょうか。
 
 野村さんはこの言葉にふれて、はっとします。20年以上監督を続けてきて、今の選手に最もかけているものは、「感謝の心」にほかならないと気がつくのです。そして、この「感謝の心」こそが、人間が成長していくうえで最も大切であり、そうした個々の集大成がチームとしての発展につながっていくと記しています。

 私たちは、さまざまな人やものに生かされています。天地自然はじめ、ご先祖様、父、母、兄弟、友人、先生。あるいは、病院、警察、消防、電力、ガス、水道、電車、バス……。さまざまなご縁にお世話になっています。

 うまくいった時は、そのご縁を思い出して、感謝をしましょう。「おかげさまで ありがとう」と。

 ここまで読んでいただいた皆さまに、よきご縁がありますように。 合掌


  
posted by 正翁寺 at 18:52| 日記

2019年01月01日

明日の分からぬ人生で 今日を迎えたこと 誠に有難し

 新年を迎え、皆さま気持ちを新たに、「今年は運動を続けるぞ」とか「今年は言葉づかいに気をつけよう」とか、様々な目標を掲げていることでしょう。

 さて、この「有難い(ありがたい)」とは、字の通り「あることがむずかしい」という意味です。あることが難しいので、「まれだ」という意味となり、まれなものは貴重であるから、「感謝する」とか「うれしい」ということになります。

 いつ何が起こるか分からない人生の中で、地震が来ることもあれば、病気になることもあるし、歩行者だけの道路に車が来ることもなくもない。何が起こるか分からない中で、今日の日を、この平成31年を迎えたことは、簡単で当たり前なようですが、よくよく考えると難しいことです。

 また、ご縁のある人と新年を共に迎えることも、蛇口をひねれば出てくる一杯の水も、スイッチ一つで明るくなる電球一個も、どれも当たり前のように思いがちです。しかし、人でいえば生まれてきて成長するだけでも難しいことですし、水や電気でいえば、水道管や電線が順調で、雨が降ったり、燃料がとれなければいけません。

 いつどうなるか分からない、諸行無常な人生の中で今日の日を迎えられたことは、「十方(※じっぽう)有難し」という真実が満ちているのです。【※「十方(じっぽう)」とは、東西南北、東南・東北・西南・西北と上下】

 このような新年の輝かしい初心を忘れずに、12月を迎えたいものです。皆さまが、清らかな良縁とたくさん出会うことを、祈念申し上げます。合掌

IMG_0094.JPG

【参考】『大辞林』三省堂
posted by 正翁寺 at 11:55| 日記

2018年07月13日

ご先祖あっての私、地球環境あってのご先祖、奇跡の連続あっての地球環境

 命に関わるほどの暑い日が続いていますが、皆さまいかがお過ごしでしょうか。

 さて、約2500年前に仏教を起こされた、お釈迦さまの教えの基本は、「縁起(えんぎ)」です。

 一般的に縁起とは、「ものごとの吉凶の前兆」や「起源、由来」を意味しますが、仏教的な意味合い、つまりお釈迦さまが覚(さと)られた「縁起」は、これとは違います。

 それは、『一切のものは(精神的なはたらきを含む)様々な「因(いん)」(=原因)と「縁(えん)」(=条件)によって生(しょう)じるという法則です。

 例えば、袋に入ったヒマワリの種があるとします。このヒマワリの種という「因(いん)」は、このままでは、もちろん花は咲きませんね。様々な「縁(えん)」という、条件を加えることで、ようやっと花を咲かせることができます。

 それにはどういったものが必要でしょうか。土や水、太陽が必要ですね。さらには、ヒマワリを大切に想う人の愛情も加えておきましょう。

 ◎IMG_1874.JPG

 皆さんが今着ている服も、タイムカプセルに入れて巻き戻してみますと、多くの条件(=縁)が加わっていることが分かることでしょう。この縁起の法則は、物ばかりではなく、私たちの命にも当てはまります。

 それは、縦の線(過去からの様々な条件)と、横の線(今受けている様々な条件)の交わるところに、今の私がいます。

 縦の線を知るには、「今の自分には、過去からのどのような条件が加わってきたのかを考えてみます。」親や先生、友達などたくさんの方々に助けられたり、教わってきたことでしょう。
 
 さらに過去にさかのぼっていくと、もしもあの日あの時あの場所で、あのご先祖様が出会っていなければ、私の今の一呼吸、一鼓動はありません。さらにさかのぼると、地球が何十億年と育んできたことも、いまの私の条件として、はずすことはできません。
 
 「地球カレンダー」というものを知っていますか。地球の誕生から現在までの46億年という途方もない年月を、1年365日で表しているものです。

 ここで問題です。「人類が誕生するのは、何月何日頃でしょうか。」 

 ・1月1日  地球誕生。無数の微惑星が合体と衝突を繰り返しながら原始地球となる。
 ・1月12日 原始地球に天体が偶然衝突し、地球と月が偶然分離する。
 ・2月9日  地殻がほぼ固まってきて、陸と海が生まれる。
 ・2月25日 最初の原始生命が誕生
 ・5月31日 光合成を行う藻が登場し、酸素の放出を始める。
 ・7月18日 大気中の酸素が増えてくる
 ・11月14日オゾン層が形成され、有害な紫外線をさえぎるようになる。
 ・11月20日魚類の出現
 ・11月28日植物が陸へ上がる。節足動物が陸へ上がる。
 ・12月13日恐竜時代が始まる。
 ・12月19日鳥類の出現。
 ・12月26日巨大隕石が偶然激突して恐竜が絶滅。
 ・12月31日23時37分現生人類(ホモ・サピエンス)誕生。
         23時58分52秒農耕牧畜が始まる。
         23時59分46秒キリスト生誕。
             56秒ルネッサンス。
             58秒産業革命。
             59秒20世紀が始まり終わる。
(『参考:地球カレンダー 46億年の歴史を1年で見る・21世紀の歩き方大研究』)

IMG_6375.JPG

 人類の出現は、12月の中旬頃と予測しましたが、とんでもない。大晦日になっても人類は出現せず、お昼を回っても出現せず、紅白が始まっても出でこない。番組が終わる頃ようやっと現れます。地球の歴史からすると、私たちの人生は一瞬のまばたきの如くですね。 

 何人ものご先祖様が必死に生きてつないできた命が私であり、そのご先祖様がたも、平穏な地球環境がなければ出現しなかったわけです。その地球環境も奇跡の連続で酸素が満ち、オゾン層が形成され、人類が出現する。

 宇宙の惑星の中で、水や緑が生まれることが奇跡的ならば、雑草一本生えてくることも本当に奇跡的な出来事。ましてや私が生まれてくることなんて、この上なく奇跡的なことであります。その私たちにとって切っても切れない母なる地球は、私たちの根っこ、つまり母体です。
 
 この母体なくして、企業業績が好調になろうとも、この母体なくして人類が宇宙に進出しようとも、この母体なくして、差別や戦争がなくなったとしても、誰一人として心から幸せだなあと言える人はいないでしょう。

 地球が平穏となるには産業革命以前に戻らなければならないそうですが、そんなことは現実的ではありません。産業革命以前の生活水準から今に至る物質的な発展を、心より敬い、感謝して、そして足ることを知って満足していくことが、地球平穏化への第一歩ではないでしょうか。

 IMG_8337.JPG

 もっともっとではなく、「エアコンの電源を入れさせていただく」「風呂の追いだきのボタンを押させていただく」「日が暮れたにもかかわらず、明るくして過ごさせていただく」すべてのことにエネルギーが使われていることは、まぎれもない事実です。これからの時代、こういった「因果関係を理解した謙虚さ」が求められるのではないでしょうか。
 
 奇跡的な地球環境があって、ご先祖が必死に命をつなぎ、私がいる。お金や車、エネルギーという果実も大事ですが、本当に大事なのは、見えない「根っこ」の部分です。

 



 
posted by 正翁寺 at 19:06| 日記