2015年06月04日

日日是好日(にちにちこれこうにち)

 私たちは、大きな力によって支えられています。
 
 

「私は見た。」と、人は言いますが、今見えているものは、真っ暗な闇の中では見えません。この光は、この明るさは、誰が作ってくれたものでしょうか。
 今吸っている空気は、誰の力によって作られているのでしょうか。
 朝、顔を洗った水はどうでしょう。

 一粒のお米が口の中に入るまでに、どれだけの手数がかかっているのでしょうか。排便した後の水は、どのような経緯で、きれいに川に流されているでしょうか。いつも安全に歩いている道路は、いつ誰がどのように作ってくれたのでしょうか。

 一つの結果には、様々な原因や条件が集まって成り立っています。果実という言葉は、結果が実ると書く通り、みかんが一つ実るにも、太陽や雨の恵みであったり、人の手数であったり、様々な原因や条件が集まって出来上がります。

 では自分自身の命はどうでしょうか。過去からの命のリレーがつながって、おなかを痛めて生まれ、様々な支えによって食べ物を食べさせてもらって、夏や冬を越して、言葉を覚えたり、足し算ができるようになったりして、そして今日も様々な大きな力によって生かされています。

 私たちは、様々な人、色々なものに、生かされています。その大きな力のおかげさまに感謝をして、一日を過ごしましょう。 

 毎日を好日にするかは、自分自身の心で決まります。


posted by 正翁寺 at 18:02| 日記

2015年05月05日

本当の幸せは、 「今、生きている」 という事。

 この言葉は、小学6年の時に骨肉種が見つかり既に肺にも転移、医師から『余命半年』と宣告された13歳の少女、猿渡瞳(さるわたりひとみ)さん(福岡県大牟田市)が作文発表したものです。http://hitomi-message.com/about.html

福岡県大牟田市の解説http://www.city.omuta.lg.jp/hpKiji/pub/detail.aspx?c_id=5&id=710&class_set_id=1&class_id=374

本当の幸せは、
「今、生きている」
という事。

毎朝この言葉を声に出して、限られた一日、そして限りある一生を悔いなく過ごしましょう。

posted by 正翁寺 at 20:26| 日記

2015年03月08日

禅の友3月号 (来月からリニューアル致します)

IMG_6172.JPG

「表紙のことば」たまちゃん
 変わらない景色。山や川、草や花。
 同じように見えている花も去年とは違う花。
 この一輪の命が精一杯生きるように、
 私たちも全力で生きていきたい。
 宇宙の大きな視野を考えると、
 花も私も生きることに大差はないのだから。

「是」酒井大岳(P,30)
 「ぜ」と読みます。「正しい!そのとおり!」と相手をたたえる時に言います。
 師の問いに弟子が答え、その答えが禅の道に適(かな)っている時、師は「是!」と言うのです。
 あるお坊さんと桜の花の散るのを見ていました。わたしが「いさぎよく散りますねえ」と言ったら、そのお坊さんが「雅(みやび)ですね」と応(こた)えたのです。
 これには意味があります。桜はちる、うめはこぼれる、牡丹(ぼたん)はくずれる、椿はおちる、これは「雅のことば」と言い、平安時代の女流歌人たちが大切にしていた表現上の心得なのです。
 そのお坊さんはこのことを知っていたので「雅ですね」と言われたのです。わたしはすぐ「是!」と言い、二人は手を取り合って大きく笑いました。

「その命を思って」橋悦堂(P,10)
 
 四度目の三月十一日が来ます。

 仙台市葛岡墓園管理事務所の一室。
 そこには身元不明の方や引き取り人がいない方のご遺骨が今も安置されています。
 毎月その場所に、県内の宗教者が集まって東日本大震災の供養を行います。
 目の前にあるご遺骨は、今は亡きその方の生きてこられた刻(とき)を詰め込んでいる。
 人として生を得、己が人生を歩み、
 四苦八苦をその身に受け、
 震災という難に遭い、その生を全うし、
 姿を変え、ここに存在している。

 お位牌やお墓も遺骨と同じく、亡き人の人生を刻み、命を宿したものと感じられるから大切に扱われるのでしょう。
 ご遺骨やお位牌は先に行かれた方の命の尊さを教えると共に、今を生きる私たちの命もまた尊ぶべきものと教えてくれます。
posted by 正翁寺 at 14:47| 日記

2015年01月29日

禅の友2月号

IMG_6052.JPG

・「釈尊涅槃会(しゃくそんねはんえ)」大本山永平寺(P,30)
 二月十五日は涅槃会が行じられます。涅槃とは梵語(ぼんご=サンスクリット語)で「吹き消す」と訳され、煩悩(ぼんのう)の炎を吹き消し、一切の苦しみから解放された悟りの境地を指します。また生命の炎を消すことから死ぬこと、一般には釈尊の入滅(にゅうめつ)を意味するのです。

 
 おのれこそ、おのれのよるべ、おのれを措(お)きて誰によるべぞ、よくととのえし、おのれにこそ、まことえがたき、よるべをぞ獲(え)ん             (法句経(ほっくきょう))

 釈尊が入滅される間際、弟子に対して残された教えと伝わっています。自己を調えることの大切さを説かれたこの教えは、現在も永平寺の修行生活に息づいています。
posted by 正翁寺 at 11:41| 日記

2015年01月01日

禅の友1月号

IMG_6015.JPG


・「旧年の枝」釜田隆文(P,6)
 早春には百花(ひゃっか)に先駆けての花が咲き、清香(せいこう)を放ちます。
 大本山永平寺を開かれた道元禅師(どうげんぜんじ)は、『永平行録(えいへいこうろく)』の中に「梅花(ばいか)新たに発(ひら)く旧年の枝」という言葉を残されています。
 梅の花は春になったら当たり前に咲くのではなく、厳しい冬を耐えてきた枝があってこそ、その上に新しい花を咲かせることができます。
 過去の積み重ねがであり、今の積み重ねが未来を生んでいきます。こうして新しい年を迎えられる私たちは、たくさんの人たちの支えがあって、今ここにいます。私たちは未来に向かって何ができるのでしょうか。
 年頭にあたり、支えてくれた方々に感謝の想いをかたむけ、希望に満ちた明日に向けて一歩を進めたいものです。

 ・「知音(ちいん)」酒井大岳(P,1)
 心の底から信じ合えるのことを言います。
 『因果経(いんがきょう)』に「親友になくてはならない心」が説かれています。
 
 @過失があったら忠告する。
 A吉事の時は共に喜ぶ。
 B苦境に落ちても捨てない。

 この心を淡淡と保てる者同士が本当の親友であるということですね。

 
posted by 正翁寺 at 16:42| 日記

2014年12月03日

禅の友12月号

IMG_5739.JPG

・「臘八摂心(ろうはつせっしん)」大本山永平寺(P,30)
 12月1日より8日未明まで臘八摂心が行じられます。
 「臘(ろう)」は臘月(12月)のことで、「八」は1日より8日までを表し、「摂心(せっしん)」は散乱しがちな心をおさめ、ひたすら坐禅に打ち込む行のことをいいます。

 『いわゆる坐禅は習禅にあらず。ただこれ安楽の法門なり』

 これは、道元禅師が書かれた普勧坐禅儀(ふかんざぜんぎ)の一節です。ひたすらに坐る時、自(おの)ずからわき起こるの安らぎを「安楽の法門」と表され、その安らぎは坐禅によって導かれるとお示しです。
 
posted by 正翁寺 at 16:59| 日記

2014年11月07日

禅の友11月号

IMG_5697.JPG

・禅のことば「開拓心田」酒井大岳(P,1)

 「心田(しんでん)を開拓(かいたく)す」と読みます。心の中に沈んでいる田を耕して、新しい自分の花を咲かせる、ということです。

 よく「自分がつくづく嫌になった」と言う人がいますが、自分というものはそれほど簡単に分かるものではありません。まだまだ自分の知らない自分が限りなくひそんでいるのです。
 ボランティア活動に参加された人から聞きました。「私の中にこんな私がいたとは知りませんでした」と。

 禅の世界も同じです。よき師に出合い、教えに出合うことによって、心田が耕されていくのですね。学びを大切にしましょう。
posted by 正翁寺 at 18:24| 日記

2014年10月04日

禅の友10月号

IMG_5604.JPG

・「達磨忌(だるまき)」大本山永平寺(P,30)
 10月5日は、禅宗の祖である菩提達磨大和尚(ぼだいだるまだいおしょう)のご命日です。
 達磨さんは5世紀ごろ、南天竺(なんてんじく)にある香至国(こうしこく)の第三王子として誕生し、般若多羅尊者(はんにゃたらそんじゃ)の法を嗣(つ)いでお釈迦様より二十八代目の祖師となられました。
 晩年、師より受け継いだ禅の教えを広めるため中国へ渡ります。その禅の教えが道元禅師を経て我々まで伝えられたことへの報恩感謝と、達磨大師のご遺徳を偲び、4日・5日の両日にわたり厳かに法要が営まれるのです。
posted by 正翁寺 at 13:55| 日記

2014年09月12日

禅の友9月号

IMG_5467.JPG

「遠くに彼岸を求めない」丹下覚元(P,10)
 「彼岸とはどこにありますか?どこか遠くにあると思っていませんか?」
 彼岸・極楽浄土というと、あたかもどこか遠くの世界にあるかのような、根拠のない理想郷を思い描かせる。
 また、本屋さんに行きますと、成功学、幸せになるための本がたくさん売られています。
 手に取ってみても「このままの自分じゃダメだ」と、「もっともっと」と他の理想郷を思い描かせる内容ばかりです。しかし思い描いている遠くの理想郷らしいものを手放しさえすれば、彼岸がそこに広がっているのです。遠くを求めることをやめた時、眼の前、足下の現実こそ、彼岸の真っ只中であることに気づけるのです。
 「もっと」幸せになれますように、と遠くを願わずに、もっと足元の満ち足りた生活に目を向けて、感謝の祈りを捧げてみましょう。そうすることで、すでに到(いた)っている足元の彼岸、今の確かさに落ち着けるのではないでしょうか
posted by 正翁寺 at 11:48| 日記

2014年08月02日

禅の友8月号

IMG_5453.JPG

・「昔話を語り継ぐことの大切さを伝えたい」小澤俊夫さん(P,2)
 言葉には、その人の人生そのものが表れています。そして、土地の言葉のちょっとした言い回しなどに、人間性が色濃く表れます。もちろん共通語にも人柄は表れますが、やはり薄められている感じがしますね。ですから、その土地の言葉は大切にしたいのです。
 喜怒哀楽を感ずる情緒を育むためにも、土地の言葉で語られる昔話を読み聞かせることは欠かせない。

お釈迦様の薬箱「ナツメ」太瑞知見(P,18)
 ナツメは滋養強壮や精神の安定などに効果があります。インドのアーユルヴェーダやチベット医学、中医学でも、古くから使用されていました。
 日本にも奈良時代以前から伝えられていたようで、万葉集にも詠われています。古くから人々になじみの深い植物なのですね。

大本山永平寺「大燈籠ながし」(P,34)
 この時期、毎年恒例となる「大燈籠ながし」が行われます。九頭竜川の河川公園を会場に、日中からコンサートやバザーなど様々な催しがあり、永平寺町にとどまらず福井県内外から多くの人が集まります。
 そして、日が沈み辺りが暗くなるころ、永平寺より修行僧など約120名が特設のステージに上がり、一万基ほどの燈籠が供えられた祭壇の前で、大法要を営みます。
 法要が終わり永平寺の老師が、主催者と共に岸辺より火の灯された灯籠を静かに流します。これは、ご縁のある生きとし生けるものに感謝の気持ちを表すのです。
 続いて一般参列者が一斉に灯籠を流し始めますが、ふと川辺を見ると、いつの間にか無数の灯籠が帯状に蛇行しながら流れる様が目に映り、その幻想的な光景に人々は魅了されます。
 最後は満点の夜空に打ち上げられる花火で締めくくられ、その打ち出しを合図に修行僧は永平寺へと戻るのです。
posted by 正翁寺 at 17:50| 日記