いやいや、自分のために。お金を稼ぐために。家族のために自分を調えるんじゃないの?
そのような声が聞こえてきそうですが、さて、お釈迦さまは、「あらゆるものごとは、みな縁起(えんぎ)している」と説かれました。
縁起って、「縁起がいい」とか「縁起でもない」とか、普段使われている縁起ですが、縁起にはもう一つ意味があります。それは、「この世のあらゆるものは、縁(えん)によって起こっている」という意味です。つまり、ここでいう『縁起』とは、「結果を引き起こす原因」という意味です。
何もない青空に、気象条件という様々な「縁(結果を引き起こす原因)」が加わり雲が発生します。さらに様々な縁により、やがて雲は雨雲に発達し、雨が降ります。山からしぼれた雨水は、低い方へと集まり川となる。私たちは、その水を引き込んで、飲み水や田畑に利用して、飲んだり食べたりして今日の命が保たれ、生まれては死に、命のバトンが受け渡され、今呼吸をしながら、正翁寺のホームページを見ている。
今周りで起こっている環境、今自分の中で起こっている心境は、様々な縁によって起こっています。つまり、私は縁起しています。
身につけている、服も、めがねも、食べ物も、電車も、道路も、字が読めることも、足し算ができることも、温暖化した環境も、原因があって起こっています。
そこで、お釈迦さまは、あらゆるものごとは、縁によって起こっているのだから、心の状態をよく観察し、苦しい結果となる原因(悪)を防ぎ、楽な結果となる原因(善)に励みなさいと説かれています。
縁起の法則に当てはめてみますと、世界中の存在・事象は、互いに関わり合っていて、その関わりを離れては存在できません。つまり、この世界に存在するものは、すべて支え合い、助け合って、蜘蛛の巣状のネットワークの中で、持ちつ持たれつ生かされている。と同時に、他を生かしてもいます。
そう、自分をよく調えることは、結局周りに善い影響を与えることになってしまうのです。
ものに溢れ、何の妨げもなく平和に過ごせる日本の私たちにできることは、情報に振り回されず、肉や酒やゲームに振り回されない、堅固な自分をつくること。
堅固な自分作りは、日常生活を調えること。さらには、腸内環境を調え、呼吸を調えて、そして難儀な心を調えましょう。世のために。