2015年01月29日

禅の友2月号

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・「釈尊涅槃会(しゃくそんねはんえ)」大本山永平寺(P,30)
 二月十五日は涅槃会が行じられます。涅槃とは梵語(ぼんご=サンスクリット語)で「吹き消す」と訳され、煩悩(ぼんのう)の炎を吹き消し、一切の苦しみから解放された悟りの境地を指します。また生命の炎を消すことから死ぬこと、一般には釈尊の入滅(にゅうめつ)を意味するのです。

 
 おのれこそ、おのれのよるべ、おのれを措(お)きて誰によるべぞ、よくととのえし、おのれにこそ、まことえがたき、よるべをぞ獲(え)ん             (法句経(ほっくきょう))

 釈尊が入滅される間際、弟子に対して残された教えと伝わっています。自己を調えることの大切さを説かれたこの教えは、現在も永平寺の修行生活に息づいています。
posted by 正翁寺 at 11:41| 日記

2015年01月01日

禅の友1月号

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・「旧年の枝」釜田隆文(P,6)
 早春には百花(ひゃっか)に先駆けての花が咲き、清香(せいこう)を放ちます。
 大本山永平寺を開かれた道元禅師(どうげんぜんじ)は、『永平行録(えいへいこうろく)』の中に「梅花(ばいか)新たに発(ひら)く旧年の枝」という言葉を残されています。
 梅の花は春になったら当たり前に咲くのではなく、厳しい冬を耐えてきた枝があってこそ、その上に新しい花を咲かせることができます。
 過去の積み重ねがであり、今の積み重ねが未来を生んでいきます。こうして新しい年を迎えられる私たちは、たくさんの人たちの支えがあって、今ここにいます。私たちは未来に向かって何ができるのでしょうか。
 年頭にあたり、支えてくれた方々に感謝の想いをかたむけ、希望に満ちた明日に向けて一歩を進めたいものです。

 ・「知音(ちいん)」酒井大岳(P,1)
 心の底から信じ合えるのことを言います。
 『因果経(いんがきょう)』に「親友になくてはならない心」が説かれています。
 
 @過失があったら忠告する。
 A吉事の時は共に喜ぶ。
 B苦境に落ちても捨てない。

 この心を淡淡と保てる者同士が本当の親友であるということですね。

 
posted by 正翁寺 at 16:42| 日記

2014年12月03日

禅の友12月号

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・「臘八摂心(ろうはつせっしん)」大本山永平寺(P,30)
 12月1日より8日未明まで臘八摂心が行じられます。
 「臘(ろう)」は臘月(12月)のことで、「八」は1日より8日までを表し、「摂心(せっしん)」は散乱しがちな心をおさめ、ひたすら坐禅に打ち込む行のことをいいます。

 『いわゆる坐禅は習禅にあらず。ただこれ安楽の法門なり』

 これは、道元禅師が書かれた普勧坐禅儀(ふかんざぜんぎ)の一節です。ひたすらに坐る時、自(おの)ずからわき起こるの安らぎを「安楽の法門」と表され、その安らぎは坐禅によって導かれるとお示しです。
 
posted by 正翁寺 at 16:59| 日記

2014年11月07日

禅の友11月号

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・禅のことば「開拓心田」酒井大岳(P,1)

 「心田(しんでん)を開拓(かいたく)す」と読みます。心の中に沈んでいる田を耕して、新しい自分の花を咲かせる、ということです。

 よく「自分がつくづく嫌になった」と言う人がいますが、自分というものはそれほど簡単に分かるものではありません。まだまだ自分の知らない自分が限りなくひそんでいるのです。
 ボランティア活動に参加された人から聞きました。「私の中にこんな私がいたとは知りませんでした」と。

 禅の世界も同じです。よき師に出合い、教えに出合うことによって、心田が耕されていくのですね。学びを大切にしましょう。
posted by 正翁寺 at 18:24| 日記

2014年10月04日

禅の友10月号

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・「達磨忌(だるまき)」大本山永平寺(P,30)
 10月5日は、禅宗の祖である菩提達磨大和尚(ぼだいだるまだいおしょう)のご命日です。
 達磨さんは5世紀ごろ、南天竺(なんてんじく)にある香至国(こうしこく)の第三王子として誕生し、般若多羅尊者(はんにゃたらそんじゃ)の法を嗣(つ)いでお釈迦様より二十八代目の祖師となられました。
 晩年、師より受け継いだ禅の教えを広めるため中国へ渡ります。その禅の教えが道元禅師を経て我々まで伝えられたことへの報恩感謝と、達磨大師のご遺徳を偲び、4日・5日の両日にわたり厳かに法要が営まれるのです。
posted by 正翁寺 at 13:55| 日記

2014年09月12日

禅の友9月号

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「遠くに彼岸を求めない」丹下覚元(P,10)
 「彼岸とはどこにありますか?どこか遠くにあると思っていませんか?」
 彼岸・極楽浄土というと、あたかもどこか遠くの世界にあるかのような、根拠のない理想郷を思い描かせる。
 また、本屋さんに行きますと、成功学、幸せになるための本がたくさん売られています。
 手に取ってみても「このままの自分じゃダメだ」と、「もっともっと」と他の理想郷を思い描かせる内容ばかりです。しかし思い描いている遠くの理想郷らしいものを手放しさえすれば、彼岸がそこに広がっているのです。遠くを求めることをやめた時、眼の前、足下の現実こそ、彼岸の真っ只中であることに気づけるのです。
 「もっと」幸せになれますように、と遠くを願わずに、もっと足元の満ち足りた生活に目を向けて、感謝の祈りを捧げてみましょう。そうすることで、すでに到(いた)っている足元の彼岸、今の確かさに落ち着けるのではないでしょうか
posted by 正翁寺 at 11:48| 日記

2014年08月02日

禅の友8月号

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・「昔話を語り継ぐことの大切さを伝えたい」小澤俊夫さん(P,2)
 言葉には、その人の人生そのものが表れています。そして、土地の言葉のちょっとした言い回しなどに、人間性が色濃く表れます。もちろん共通語にも人柄は表れますが、やはり薄められている感じがしますね。ですから、その土地の言葉は大切にしたいのです。
 喜怒哀楽を感ずる情緒を育むためにも、土地の言葉で語られる昔話を読み聞かせることは欠かせない。

お釈迦様の薬箱「ナツメ」太瑞知見(P,18)
 ナツメは滋養強壮や精神の安定などに効果があります。インドのアーユルヴェーダやチベット医学、中医学でも、古くから使用されていました。
 日本にも奈良時代以前から伝えられていたようで、万葉集にも詠われています。古くから人々になじみの深い植物なのですね。

大本山永平寺「大燈籠ながし」(P,34)
 この時期、毎年恒例となる「大燈籠ながし」が行われます。九頭竜川の河川公園を会場に、日中からコンサートやバザーなど様々な催しがあり、永平寺町にとどまらず福井県内外から多くの人が集まります。
 そして、日が沈み辺りが暗くなるころ、永平寺より修行僧など約120名が特設のステージに上がり、一万基ほどの燈籠が供えられた祭壇の前で、大法要を営みます。
 法要が終わり永平寺の老師が、主催者と共に岸辺より火の灯された灯籠を静かに流します。これは、ご縁のある生きとし生けるものに感謝の気持ちを表すのです。
 続いて一般参列者が一斉に灯籠を流し始めますが、ふと川辺を見ると、いつの間にか無数の灯籠が帯状に蛇行しながら流れる様が目に映り、その幻想的な光景に人々は魅了されます。
 最後は満点の夜空に打ち上げられる花火で締めくくられ、その打ち出しを合図に修行僧は永平寺へと戻るのです。
posted by 正翁寺 at 17:50| 日記

2014年07月03日

禅の友7月号

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「命は誰のものか」橋悦道(P,10)
 誰もが自分の命は自分のものと思っているだろうけれど、本当にそうなのか。
 ひとりの人の先祖を十世代さかのぼると単純計算で1024人となり、そのうち誰が欠けていてもその人は存在しないという。
 逆に考えれば、人ひとりの命はこの先たくさんの命に関わっていくことになるのかもしれない。今あるひとりの命は、過去と未来の数えきれない命との繋がりの中にある。
 子供や孫だけでない。顔を見ることのないであろう遠い未來の子孫たちが、今ある私によってある。過去と未来の時間軸を考えるだけでも、命が、一人の命が、その人だけで完結していないことが分かる。
 今ココ私だけで終わらない命だからこそ、今ココ私を精一杯生きて、命を贈ろう。


posted by 正翁寺 at 13:38| 日記

2014年05月31日

禅の友6月号

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・禅のことば「本然清浄」酒井大岳
 「ほんねんしょうじょう」と読みます。人は生まれながらにして仏心(清らかな心)を持っているという意味です。
 ある医師から直接聞いた話です。
 「暴走族の幹部であったある少年が事故を起こし、この病院に入院して半年経ったある日、『自分は今日から変わる』と言ってきました。
 なぜかと聞いたら、『廊下を駆け回る看護師さんたちの足音や、リハビリを続けてくれる先生たちの呼吸が、みんな自分の体をよくする為の音であったと初めて気づいたからです。自分は今日から真人間になって、他人(ひと)の為に少しでも役立つ人間になりたい』と言うではありませんか。
 日頃の少年の暴言に腹を立てていましたが、これを聞いて『医者になってよかった』としみじみ思いました。人間は本来美しい心を持っているものなのですね。」

・百人百想インタビュー「三角勝信さん」(P,2)
 三角勝信さんは、現在、福岡県内に二十店舗を展開しているディスカウントショップ「ルミエール」の社長。創業に先立ち教わった商売の理念とは、「自分だけが儲かるのではなく、お客さんいいものを安く売って喜んでもらうこと」であった。そして、「商売のテクニックだけでなく、人の役に立つのが仕事だ」などの、人生の本質も学んでいきました。
 経営における基本は、よい商品をより安く売り、会社の発展と社員の物心両面での幸せを図り、地域や取引先に貢献する、にある。

「主人公すぎる」青木千恵(P,18)
 最近は「逆ギレ」をする人が多いと思った。先日街で六十歳前後の女性二人がにらみ合い、「示談」などと言い合っている姿を見たが、「『主人公』にとっては、自分の意に反する動きをする人は皆、行く手を阻む『敵役』なのかもしれない。」
 自分にないものを持つものに嫉妬を覚え、動きをマークするのも、自分が主人公だから。しかし、自分だけが主人公でないのが「万物の世界」である為、現実では齟齬(そご・ギャップ)が起きる。人と人との間で織りなされるのが物語で、主人公一人だけでは物語は生まれない。

「ダライ・ラマ法王14世 記念講演」を語る
 Q.他者から身に覚えのない怒りを受けてしまった時、どのように向き合えばよいですか?
 A.相手が、あなたにぶつけてきたその怒りは、煩悩(ぼんのう)によって作り出されたものです。私たちは、相手に対して怒りを抱くのではなく、相手の煩悩に過失があるのだと考えましょう。

posted by 正翁寺 at 11:25| 日記

2014年05月11日

禅の友5月号

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・「桃李不言 下自成蹊」酒井大岳(P,1)
 「とうりものいわざれども、したおのずからこみちをなす」と読み下(くだ)します。
 桃や李(すもも)は無言のままで人を集めます。徳のある人の所に、自然に人が集まってくるたとえです。
 禅の道に生きる人々は静かです。瞋(いか)らず、騒がず、綿密で、穏やかで、飾り気もありません。
 世の波に流されている自分に気づいた時、人は好かれようという思いから離れ始めます。そのとき初めて桃李(真実)を見つめる眼差しを授かるのですね。そこから本当の人生が始まると言ってもよいかと思います。

・「進化のない伝統文化は滅びる」(P,2)
石見神楽(いわみかぐら)を演じる者に、伝統を守るという意識はないでしょう。伝統を守ろうとこだわると、時代に取り残され、社会に必要とされなくなるからです。基本は、自分が演(のべ)りたいから演る。もっと楽しくしたいから、今ある神楽を工夫する。時代に合わせて進化してきたのが石見神楽なのです。

・「お経を唱えて」尾崎正善(P,18)
 葬儀・法要の時、お経をお唱えしますがそれはなぜでしょう。
 『法華経』という経典の中には、「経典を読誦(どくじゅ)し、書写し、護持したならば、その功徳は計り知れない。」と、説かれています。
 このようにお経(お釈迦さまの教え)を読んだり、書き直したり、さらには大切に持っているだけでも多くの功徳がある、と古くから考えられていたのです。

posted by 正翁寺 at 21:38| 日記