石井さんは、ベイスターズ時代の20年は、打つ、走る、守るといった「技術の伸びしろ」を求め続けていました。しかし、広島に移籍してからは、一つの勝利、一つの守備、ファンからの声援、なにげない生活での一コマなど、小さなことでも、喜びを感じるように、意識が変わったといいます。
そして、「何かを得たい」「ほしい」といった意識から、反対に、「与えたい」「カープに恩返しがしたい」と変わっていったそうです。苦悩から見えてきたもの、それは、限界のある技術面ではなく、限界のない「心の伸びしろ」、つまり内面性の大切さだったのです。
お釈迦さまのことばに、「善(よ)いことをし、悪いことをせず、心を浄(きよ)めていくのが、過去の悟った仏たちの教えである」とあります。善いことをし、悪いことをしないのは分かりますが、ポイントは、心を浄めることです。それが、石井さんが言っている「与えよう」という意識です。
落ち葉をたった5分だけ掃くにせよ、お皿をたった10枚だけ洗うにせよ、「与えよう」という意識を持つだけでも、心がほんの少しでしょうけれど、浄められ、喜びを感じられる意識が、少〜しずつ醸(かも)し出されてくる。そんな小さな繰り返しと積み重ねに因(よ)るものが、安楽な、喜びを感じられる世界なのではないかと思います。
石井さんは言います、「心の伸びしろ」を意識するだけでも、人間的にも強くなれます。私たちには、まだまだ成長する余地が残されているのですよと語っています。
技術には、限界や個人差はありますが、心の伸びしろは、無限に伸ばすことができるのです。
【参考文献「心の伸びしろ」石井琢朗著】
