2013年11月30日

禅の友12月号

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・禅のことば「潺々流水」酒井大岳
 「せんせんたるりゅうすい」と読みます。さらさら流れる浅い谷川の音を言います。
 人は多かれ少なかれ悲風(悲しい運命の風・黒風とも言う」を浴びて生きていきますが、そのために暗くなってしまう人と、乗り越えて明るく生きていく人と、さまざまです。
 多くの苦難にめげず、なおかつ明るくのびのびと生きていく人のことを「乗り越えて澄む」と言っていますが、水にたとえると、よどむ水は濁り、流れる水は「澄む」ということでしょう。
 「さらさら生きて、さらりと去る」、禅の歴代の方々の一生は、おおむねこのようでありました。流れて澄んでいきたいものです。

・特集「新たに歩む」(P,1)
 定年後の人生をいかに生きるか。それが問われる時代になった。今までの経験を生かしつつ、新たな人生を送るためには、何を考えて歩み出すべきなのか。

posted by 正翁寺 at 18:29| 日記

2013年10月29日

禅の友11月号

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・禅のことば「粒粒辛苦」酒井大岳
 「りゅうりゅうしんく」と読みます。一粒一粒のお米には農家の人々のご苦労と、光線・水・肥料などの恵みがあふれています。それを感謝していただくとき、一粒のお米の本当の味が分かるのです。
 戦時中、食べ物がなくなると、私は裏山に登って楢(なら)の木の根を掘りました。根の先にほっこり膨らんでいる部分があり、それを切って家に持って帰ると、母が喜んで、「これで三日は生きられる」と涙ぐんでいました。これを土鍋で煮て食べたときの美味しさは、今でも忘れることができません。それからは一粒一粒のお米を心して味わうようになりました。 
 現代は食べ物が豊富で食べ残しはほとんど捨てているようですが、禅の道は一粒のお米のいのちを大切にするところから始まります。そこには大宇宙のいのちが凝縮されているからです。

posted by 正翁寺 at 15:56| 日記

2013年09月25日

禅の友10月号

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・禅のことば「葉落ちて根に帰す」酒井大岳
 「はおちてねにきす」と読みます。
 木々たちは枯れ葉を根元に落とし、土に返してみずからを生かす栄養とします。この繰り返しが木々たちの命を循環させているのです。
 ところが、雑木林を歩いて行くと、木の根元にはさまざまな木の葉が集まっていることに気づきます。木枯らしの吹くなかで木々たちは互いに枯れ葉を交換し、より新鮮な栄養素を作り合っている。
 この自然を観察していると、争わず、分け合って生きていることに教えられます。
 枯れ葉に学んで、人間も互いに良いものを交換し合って生きてゆきたいものです。

・特集「挑む」(P,1)
 現在、大学卒業者の四人に一人が非正規雇用。たとえ正規の社員になれても、三十代、四十代で引きこもりになる人が約二割を占めるという。果たして彼らが、正規雇用や都市での生活にこだわる必要があるのだろうか。
 もっと柔軟に自分の生き方を考えたときに、別の選択肢も出てくるのではないだろうか。自分が生きていく世界をもっと自由に考えてもいいのではなかろうか。
 「皆が皆、会社員になる必要はありません。人間関係に疲れ、家に引きこもってまで都会生活をする必要もありません。人間相手ではなく、自然を相手に自己を発揮する手立てもあります。自然を相手にのびのび暮らす方法もあります。要は、自分の生き方をもっと柔軟に考えるべきなのです」
 「全国的な動きとして、山に木を植える運動があります。樹木を植えることで山の養分が増え、その養分が川を流れて田畑を潤し、海に注ぐことで海の養分も豊かになる。その養分を食べて魚介類は美しく育つ、というのです。植林の結果、山崩れなどの災害を防ぐことにもなる」
 現在は、国も人も、共にカラを破ることが求められている。今まで通用してきた古い価値観(=カラ)を破って、新しい価値観に向かって挑むときが来ている。

「犯罪の件数の減少と治安の悪化」青木千恵(P,10)
 八月に公表された今年版『警察白書』によると、12年の刑法犯の認知件数は、戦後最多だった02年の半数以下に減っている。犯罪の認知件数は減少の一途だが、内閣府の世論調査では、国民の8割以上が「過去10年で治安は悪化したと思う」と答えている。
 12年の児童虐待の検挙数は99年以降で最多だった。いじめに起因する事件数は87年以降で最多。家庭内暴力(DV)やストーカーの件数も増えている。
 犯罪件数の減少は「みえる犯罪」が減ったということで、「みえにくい犯罪」は減っていず、「悪意」のようなマイナス感情を自制できない人は、むしろ増えているのかもしれない。
 しかしこの「悪意」という感情を、人は誰でも持っている。法に触れなくても、悪意は世の中を息苦しくするし、ときに犯罪を誘発する。自制を習慣づけて努めなくてはならないが、そうできない人もいる。
 愚か者の「みえにくい犯罪」で簡単に崩れるような人間関係を築いてはいけない。信頼できる人とのつながりを大切にしたい。
 
posted by 正翁寺 at 17:34| 日記

2013年08月31日

禅の友9月号

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・禅のことば「随縁」酒井大岳
 「ずいえん」と読みます。文字どおり「縁にしたがう」ことを言います。
 縁は不思議です。なぜ巡り会うかを説明することができないからです。
 夫婦・親子・師弟・友人、みな遠い過去からのかかわり合いがあって巡り合っている。ご縁を大切にしましょう。
 この星に ふたり合うべく 生まれ来(こ)し
      えにし尊(たっと)ぶ けふ嫁ぐ子に   伊藤幸子

「苦しみとは何か」羽賀孝行(P,18)
 皆さんは「苦」という漢字を見るとどのようなことが頭に浮かぶでしょう。
 一般的には、肉体的・精神的な「苦痛」がまず浮かんでくるのではないでしょうか。
 お釈迦さまは、この世のすべてのものは常に移り変わっており、永遠だと思っているものもいつかは必ず失われていく、「無常」な存在だと示されました。
 そして人はその「無常」なるものを「これは私のものだ」と執着してしまうからこそ苦しむのだと説かれるのです。
 自分の周りにあるすべてのもの、また自分自身でさえもいつかは必ず失われていくものですから、ずっと自分のものであることを願っても、、それは叶うはずがありません。
 思い通りにならないことを、思い通りにしようとして苦しむ自分。これらを知ることが苦しみを離れる一番の近道なのです。

 
posted by 正翁寺 at 11:33| 日記

2013年07月27日

禅の友8月号

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禅のことば「真儀凛々」酒井大岳
 「しんぎりんりん」と読みます。「真儀」は姿形(すがたかたち)のこと、「凛々」はりりしいということ。容姿や身なりがきりっとしている人は、心もいきいきとしてさわやかである、という意味の言葉です。

 日はのぼり日はまた沈むいつのときもわれに凜たり心の一樹  
 (加藤克巳)

 こころに一本の樹があり、その樹はいつも凜としていると言います。買った樹ではありません。学んで育てた樹なのです。
 そこから「しゃん」とした姿形が生まれ、りりしい生き方が始まるのです。これを「りんりんと生きる」と言っています。 
 

「変わることと 変わらないお盆」上月泰龍(P,1)
 以前あるお宅へお盆のお参りに伺ったときのことです。その夏はキュウリが不作だったので、そのお宅では代わりにゴーヤで馬をつくられたのでした。
 少しずつ形の変わっていく風習もあるし、地域によってお勤めの仕方にも違いがあります。それでも、「お盆にはご先祖さまをキチンとお迎えしたい」という私たちの気持ちは、時代や土地の違いに関わりなく、変わることがありませんでした。
 100年後に私たちの子孫はどんなお盆をお勤めしているのでしょうか?100年後にも変わらずお勤めしてもらえるよう。それを忘れずに、今年もお盆を迎えたいものです。

posted by 正翁寺 at 17:30| 日記

2013年06月30日

禅の友7月号

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禅のことば「朴而不形」酒井大岳
 「朴(ぼく)にして形(かたち)つくらず」と読みます。朴訥(ぼくとつ)でなりふりを飾らない人柄を言います。
 長女が嫁ぐとき、「お父さん、私に小さな言葉を一つください。それを大切に生きていきます」と言うので、考えた末、色紙に「かざらず、かまえず、かたよらず」と書いて持たせました。
 人は飾れば飾るほど心の内側を覗かれます。構えれば構えるほど心身ともに疲れます。この二つから離れる努力をしないと、いつの間にか偏(かたよ)った人生を歩んでしまい、取り返しがつかなくなってしまうようです。

お盆を迎える〜まごころのおもてなし(P,1)
 お盆行事、日本では657年に宮中で初めて行われた記述があります。それから恒例行事として宮中で行われるようになり、それが民間にも受け入れられるようになると、ご先祖さまのみならず、生きとし生けるものすべてに供養を施し、幸福を願う国民的行事として定着しました。
 地域によってさまざまな迎え方、飾り方がありますが、形態はどうあれ、ご先祖さまのお霊をまごころをもっておもてなしすることが、「お盆」の本質です。お盆を機会に、ご先祖さまに思いを馳せてみてはいかがでしょうか。

posted by 正翁寺 at 15:59| 日記

2013年05月30日

禅の友6月号

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「入泥入水」酒井大岳
 「泥(でい)に入(い)り水(みず)に入(い)る」と読みます。
 菩薩(ぼさつ)が泥まみれになって世間の人を救う姿を言います。自らおぼれる覚悟がなければ、今おぼれようとしている人を助けることはできない。

「故郷について」青木千恵(P,10)
 1960年に19.9%だった過疎地域の人口の割合は、2010年には8.1%に低下している。面積にすると国土の57.2%を占める。故郷をいかに存続させ、次の世代に残すことができるのか、自治体が対策を講じている。
 都市生活が主流になり、標準語を話す人が増える中で「方言の衰退」も起きている。ユネスコ(国際連合教育科学文化機関)が09年に発表した「世界危機言語地図」によると、世界では約2500の言語が消滅の危機にさらされており、日本ではアイヌ語、八重山語、与那国語、沖縄語、奄美語、八丈語がリストに掲載された。

岡本太郎「明日の神話」山下祐二(P,26)
 渋谷駅に設置されている岡本太郎作「明日の神話」。なんと、縦5.5m、幅30mもある巨大壁画だ。
 「明日の神話」のテーマは、「ヒロシマ・ナガサキ」。核兵器に焼かれてなお、大らかな生命力で生き続ける人間の姿を高らかに表現している。

posted by 正翁寺 at 14:19| 日記

2013年05月04日

禅の友5月号

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「若者とは『何者』か」青木千恵(P,10)
 「若者」とは何だろう。年上の人から見て私は若者だが、年下の人から見ると私は高齢者だ。恩ある人を思い、己の分際(ブンザイ)をわきまえて生きるのが若者なのかなと思った。世の中は理不尽で、努力すれば必ず報われるわけではない。それでも努力するのが若者ではないか。
posted by 正翁寺 at 15:43| 日記

2013年04月01日

禅の友4月号

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・特集「ほめる」(P,1)
 ほめるには、具体性が必要です。具体的にほめることで、悪い点を指摘するときにも素直に聞いてもらえるようになります。問題は、教わる方も一生懸命だが、「教える方もきちんと見ていますよ」という姿勢にあるのです。

「新亡精霊供養御和讃」岡本大英(P,9)
 大切な人の死、それは悲しくつらいものです。この曲は、その後四十九日まで、大切な人との別れをどのようにとらえ、生きていくのか学びながらお唱えする御和讃です。
 あなたに出会えたご縁に感謝し、深い絆で結ばれていたことを思い起こしていくと、その人のことを決して忘れることはありません、と詠(うた)われています。
 人生は人と人とのご縁によってつながっています。別れが訪れたとしても、かけがえのない人と出会うことができた、そのことを忘れずにいつまでも感謝し続けたいものです。

「やさしいことば」浅野廣道(P,18)
 「やさしいことば」を「愛語」と言います。
 愛語とは、慈しみの心、相手を思いやる心から出てくるのであって、すぐに、いつでも口にできるようになるものでもありません。
 やさしい慈しみの心は、普段から自己中心的ではなく、人を気遣う生活の中で育まれます。そのような生活を心がけることで自然と愛語が身につき、「ことば」となって出てくるということです。
posted by 正翁寺 at 13:52| 日記

2013年03月03日

禅の友3月号

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禅のことば「生死流転」酒井大岳
 「しょうじるてん」と読みます。ここで生死というのは、人間の「生まれ・死ぬ」ことではありません。この世の一切のものが、一瞬として止(とど)まることなく、絶えず変化し動いていることを指します。

・特集「学ぶ」(P,1)
 人は、より良く生きるために、多くのことを学び続ける。学んだことを上手に活(い)かしながら、人生をより豊かなものにしようとしているからである。
 一度、聞いたり、見たりしただけですぐに自分のものとして学びとってしまう人。何度、聞いたり、見たりしてもなかなか身につかない人。同じことを何度も繰り返さないと覚えられない人。人さまざまである。そして、早く覚えたから「よい」というわけでもない。
 効率性が求められている現代社会にとって、人はとかく即効性だけでものごとを判断しがちである。すると、時間をかけて学ぶことは否定される。すべての判断が、「善か、悪か」「損か、得か」「早いか、遅いか」に分かれてしまうのである。しかし、人には、時間をかけなければ学べないこともある。
 たとえば、礼儀を身につけること、他人(相手)をよく知ること、辛抱すること、努力すること、……などである。

「四摂法御和讃(ししょうぼうごわさん)」谷垣政道(P,9)
 「愛語(あいご)」とは、人と接する時、常に慈(いつく)しみの心を持ち、そして慈しみのある言葉を掛けることを言います。親が子を思うような、慈しみの心から発せられた言葉なのです。慈しみを持った言葉が人の心を動かし、心を動かされた人が今度は慈しみのある言葉を発するようになる。そういう力がこの「愛語」にはあるのです。
 私たちの周りには、自分の意に沿う人ばかりではありません。すべての人が生きているのです。大切な生命を生きているのです。皆が、大切な生命を生きていることを知った時、どうしてそれを害することができるでしょうか。たった一度の今の人生を、お互いに安らぎを持った人生にしようではありませんか。

posted by 正翁寺 at 16:21| 日記