2013年08月31日

禅の友9月号

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・禅のことば「随縁」酒井大岳
 「ずいえん」と読みます。文字どおり「縁にしたがう」ことを言います。
 縁は不思議です。なぜ巡り会うかを説明することができないからです。
 夫婦・親子・師弟・友人、みな遠い過去からのかかわり合いがあって巡り合っている。ご縁を大切にしましょう。
 この星に ふたり合うべく 生まれ来(こ)し
      えにし尊(たっと)ぶ けふ嫁ぐ子に   伊藤幸子

「苦しみとは何か」羽賀孝行(P,18)
 皆さんは「苦」という漢字を見るとどのようなことが頭に浮かぶでしょう。
 一般的には、肉体的・精神的な「苦痛」がまず浮かんでくるのではないでしょうか。
 お釈迦さまは、この世のすべてのものは常に移り変わっており、永遠だと思っているものもいつかは必ず失われていく、「無常」な存在だと示されました。
 そして人はその「無常」なるものを「これは私のものだ」と執着してしまうからこそ苦しむのだと説かれるのです。
 自分の周りにあるすべてのもの、また自分自身でさえもいつかは必ず失われていくものですから、ずっと自分のものであることを願っても、、それは叶うはずがありません。
 思い通りにならないことを、思い通りにしようとして苦しむ自分。これらを知ることが苦しみを離れる一番の近道なのです。

 
posted by 正翁寺 at 11:33| 日記

2013年07月27日

禅の友8月号

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禅のことば「真儀凛々」酒井大岳
 「しんぎりんりん」と読みます。「真儀」は姿形(すがたかたち)のこと、「凛々」はりりしいということ。容姿や身なりがきりっとしている人は、心もいきいきとしてさわやかである、という意味の言葉です。

 日はのぼり日はまた沈むいつのときもわれに凜たり心の一樹  
 (加藤克巳)

 こころに一本の樹があり、その樹はいつも凜としていると言います。買った樹ではありません。学んで育てた樹なのです。
 そこから「しゃん」とした姿形が生まれ、りりしい生き方が始まるのです。これを「りんりんと生きる」と言っています。 
 

「変わることと 変わらないお盆」上月泰龍(P,1)
 以前あるお宅へお盆のお参りに伺ったときのことです。その夏はキュウリが不作だったので、そのお宅では代わりにゴーヤで馬をつくられたのでした。
 少しずつ形の変わっていく風習もあるし、地域によってお勤めの仕方にも違いがあります。それでも、「お盆にはご先祖さまをキチンとお迎えしたい」という私たちの気持ちは、時代や土地の違いに関わりなく、変わることがありませんでした。
 100年後に私たちの子孫はどんなお盆をお勤めしているのでしょうか?100年後にも変わらずお勤めしてもらえるよう。それを忘れずに、今年もお盆を迎えたいものです。

posted by 正翁寺 at 17:30| 日記

2013年06月30日

禅の友7月号

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禅のことば「朴而不形」酒井大岳
 「朴(ぼく)にして形(かたち)つくらず」と読みます。朴訥(ぼくとつ)でなりふりを飾らない人柄を言います。
 長女が嫁ぐとき、「お父さん、私に小さな言葉を一つください。それを大切に生きていきます」と言うので、考えた末、色紙に「かざらず、かまえず、かたよらず」と書いて持たせました。
 人は飾れば飾るほど心の内側を覗かれます。構えれば構えるほど心身ともに疲れます。この二つから離れる努力をしないと、いつの間にか偏(かたよ)った人生を歩んでしまい、取り返しがつかなくなってしまうようです。

お盆を迎える〜まごころのおもてなし(P,1)
 お盆行事、日本では657年に宮中で初めて行われた記述があります。それから恒例行事として宮中で行われるようになり、それが民間にも受け入れられるようになると、ご先祖さまのみならず、生きとし生けるものすべてに供養を施し、幸福を願う国民的行事として定着しました。
 地域によってさまざまな迎え方、飾り方がありますが、形態はどうあれ、ご先祖さまのお霊をまごころをもっておもてなしすることが、「お盆」の本質です。お盆を機会に、ご先祖さまに思いを馳せてみてはいかがでしょうか。

posted by 正翁寺 at 15:59| 日記

2013年05月30日

禅の友6月号

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「入泥入水」酒井大岳
 「泥(でい)に入(い)り水(みず)に入(い)る」と読みます。
 菩薩(ぼさつ)が泥まみれになって世間の人を救う姿を言います。自らおぼれる覚悟がなければ、今おぼれようとしている人を助けることはできない。

「故郷について」青木千恵(P,10)
 1960年に19.9%だった過疎地域の人口の割合は、2010年には8.1%に低下している。面積にすると国土の57.2%を占める。故郷をいかに存続させ、次の世代に残すことができるのか、自治体が対策を講じている。
 都市生活が主流になり、標準語を話す人が増える中で「方言の衰退」も起きている。ユネスコ(国際連合教育科学文化機関)が09年に発表した「世界危機言語地図」によると、世界では約2500の言語が消滅の危機にさらされており、日本ではアイヌ語、八重山語、与那国語、沖縄語、奄美語、八丈語がリストに掲載された。

岡本太郎「明日の神話」山下祐二(P,26)
 渋谷駅に設置されている岡本太郎作「明日の神話」。なんと、縦5.5m、幅30mもある巨大壁画だ。
 「明日の神話」のテーマは、「ヒロシマ・ナガサキ」。核兵器に焼かれてなお、大らかな生命力で生き続ける人間の姿を高らかに表現している。

posted by 正翁寺 at 14:19| 日記

2013年05月04日

禅の友5月号

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「若者とは『何者』か」青木千恵(P,10)
 「若者」とは何だろう。年上の人から見て私は若者だが、年下の人から見ると私は高齢者だ。恩ある人を思い、己の分際(ブンザイ)をわきまえて生きるのが若者なのかなと思った。世の中は理不尽で、努力すれば必ず報われるわけではない。それでも努力するのが若者ではないか。
posted by 正翁寺 at 15:43| 日記

2013年04月01日

禅の友4月号

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・特集「ほめる」(P,1)
 ほめるには、具体性が必要です。具体的にほめることで、悪い点を指摘するときにも素直に聞いてもらえるようになります。問題は、教わる方も一生懸命だが、「教える方もきちんと見ていますよ」という姿勢にあるのです。

「新亡精霊供養御和讃」岡本大英(P,9)
 大切な人の死、それは悲しくつらいものです。この曲は、その後四十九日まで、大切な人との別れをどのようにとらえ、生きていくのか学びながらお唱えする御和讃です。
 あなたに出会えたご縁に感謝し、深い絆で結ばれていたことを思い起こしていくと、その人のことを決して忘れることはありません、と詠(うた)われています。
 人生は人と人とのご縁によってつながっています。別れが訪れたとしても、かけがえのない人と出会うことができた、そのことを忘れずにいつまでも感謝し続けたいものです。

「やさしいことば」浅野廣道(P,18)
 「やさしいことば」を「愛語」と言います。
 愛語とは、慈しみの心、相手を思いやる心から出てくるのであって、すぐに、いつでも口にできるようになるものでもありません。
 やさしい慈しみの心は、普段から自己中心的ではなく、人を気遣う生活の中で育まれます。そのような生活を心がけることで自然と愛語が身につき、「ことば」となって出てくるということです。
posted by 正翁寺 at 13:52| 日記

2013年03月03日

禅の友3月号

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禅のことば「生死流転」酒井大岳
 「しょうじるてん」と読みます。ここで生死というのは、人間の「生まれ・死ぬ」ことではありません。この世の一切のものが、一瞬として止(とど)まることなく、絶えず変化し動いていることを指します。

・特集「学ぶ」(P,1)
 人は、より良く生きるために、多くのことを学び続ける。学んだことを上手に活(い)かしながら、人生をより豊かなものにしようとしているからである。
 一度、聞いたり、見たりしただけですぐに自分のものとして学びとってしまう人。何度、聞いたり、見たりしてもなかなか身につかない人。同じことを何度も繰り返さないと覚えられない人。人さまざまである。そして、早く覚えたから「よい」というわけでもない。
 効率性が求められている現代社会にとって、人はとかく即効性だけでものごとを判断しがちである。すると、時間をかけて学ぶことは否定される。すべての判断が、「善か、悪か」「損か、得か」「早いか、遅いか」に分かれてしまうのである。しかし、人には、時間をかけなければ学べないこともある。
 たとえば、礼儀を身につけること、他人(相手)をよく知ること、辛抱すること、努力すること、……などである。

「四摂法御和讃(ししょうぼうごわさん)」谷垣政道(P,9)
 「愛語(あいご)」とは、人と接する時、常に慈(いつく)しみの心を持ち、そして慈しみのある言葉を掛けることを言います。親が子を思うような、慈しみの心から発せられた言葉なのです。慈しみを持った言葉が人の心を動かし、心を動かされた人が今度は慈しみのある言葉を発するようになる。そういう力がこの「愛語」にはあるのです。
 私たちの周りには、自分の意に沿う人ばかりではありません。すべての人が生きているのです。大切な生命を生きているのです。皆が、大切な生命を生きていることを知った時、どうしてそれを害することができるでしょうか。たった一度の今の人生を、お互いに安らぎを持った人生にしようではありませんか。

posted by 正翁寺 at 16:21| 日記

2013年01月30日

禅の友2月号

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「もののいのち」守長修浩(p,18)
 物には命があると思うと一つ一つの物の扱いが丁寧になり、思いやりが生まれてきます。物や人にもありがとうと感謝をする心も生まれてきます。そして、感謝の心が持てると、次第に「生かされている」という謙虚な気持ちも芽生えてくるのです。
 永平寺を開かれた道元禅師は「眼睛(がんせい)なる常什物(じょうじゅうもつ)を護借(ごしゃく)せよ」と、物を粗末に扱うことを戒め、物を自分の目の玉、つまり命のように大切に扱いなさい、と記しています。
 このお言葉はただ「物を大切にね」と言っているだけではありません。物に命があるように扱うことは、ただ物を大切にするということだけではなく、その先にある私たちの「生かされている」という生き方につながるということをおっしゃっているのです。
posted by 正翁寺 at 17:20| 日記

2013年01月02日

禅の友1月号

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禅のことば「一期一会」 酒井大岳
 宇宙物理学者の佐治晴夫先生がおっしゃっていました。「地球が生まれて46億年、まだ一度として同じ形の雲が出たことはないのですよ」と。
 これは、雲のことだけを言われたわけではありません。宇宙全体が刻一刻と変化をしているのであるから、この世にいつも同じ姿をしているものなど一つもないのだ、と言われているのです。
 人間も動物も花も鳥も朝日も夕日も、すべて一回かぎりの出会いであり、もう二度と会うことはありません。この一年、人に、物に、真心をもって接してゆきたいものです。

「おせち料理と食の本」 青木千恵(P,10)
 お弁当やお総菜など、家庭外で調理された食品を購入して家や仕事場で食べる、外食でなく「中食」の市場は伸び続けている。女性の社会進出、単身世帯の増加、高齢化などが背景といわれる。
 岩村暢子さんの「変わる家族 変わる食卓」などの著作を読むと、「洗い物を出したくないのでパックのまま出す」「ハンバーグが嫌いな夫はレトルトカレー」…と、現代の家庭の食卓は異様な状態である。家族一人ひとり、食べる時間もバラバラな「勝手食い」が普通になっている。
 女優であり文筆業にも長けていた沢村貞子さんの「わたしの献立日記」は、バブル景気のさなかの1988年に刊行された。世界中の食べ物が街にあふれ、料理人たちがあそこの味がどう、と言いあう「総グルメ時代」に「食物の本物ってなあに?」と思案し、悩んだ果てに
「いま、食べたいと思うものを、自分に丁度いいだけ。つまり寒いときは温かいもの、暑いときは冷たいものを、気どらず、構えず、ゆっくり、楽しみながら食べること」が、「最高の贅沢」と考えた。レシピ本、グルメ本ではない。その人の経験から生まれた生き方の本だ。

道元さまが教えてくれた「心のコンパス」
 晴山俊英(P,12)
 道元さまは、「自分が愚か者であるからとか、素質がないからなどと卑下してはいけない。」と言われています。
 過去の偉い仏さまも同じ思いを経て仏の道を成し遂げたのだから、「大丈夫、君たちも偉い仏さま(人)になれるのだ。勝手に自分に見切りを付けるものではないぞ。」と示されたのです。
 その上で、「今の命がある間にやる気を起こさなければ、いつの命を待ってやるというのか」と、奨励しています。

posted by 正翁寺 at 15:18| 日記

2012年11月29日

禅の友12月号

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・特集「修める」(P,2)
 ローマの安心道場で修行しているカッペリ・グリエルモ(僧名道龍どうりゅう)さんは、ダンサーでもある。カソリックの家庭に生まれた道龍さんは、子供の頃から教会行事に積極的に関わってきた。しかしある時期に「もっとほかに何かあるのでは?」と疑問を抱く。
 「禅には、宗教に入るための技術があることが魅力でした。キリスト教には、祈りの姿に形はありません。禅には、息を整える、姿勢を整えるという形があります。ダンサーとしての私には、身体を動かすことによって、心を整えるということが興味深かったのです。
 また、耳鳴りがする、血圧が高いなど身体的コンプレックスに悩まされていた私は、この行を修めることによって、自分を変えられるのではないか、とも思ったのです。
 しかし、坐禅を通じて、自分は自分以外になれるものではないことを自覚しました。<スミレはスミレ、バラはバラ>。自分は自分でしかないのです。」

「ちりりんちん」務臺孝尚(P,8)
 12月8日は、お釈迦さまが真理を悟られた成道の日です。お釈迦さまが悟られた真理を一言で表現すれば、それは「縁起の法(えんぎのほう)」ということです。「世の中の一切(すべて)のものは、さまざまな原因や縁に依って生じ、また生滅変化をくり返し、互いに関わり合って存在している」ということです。
 お釈迦さまは『ダンマパダ』(法句経・真理のことば)の中で
「人の生をうくることはかたく、やがて死すべきものの生命(いのち)あるはありがたし、正法(おしえ)を耳にするはかたく、諸仏の世に出ずるもありがたし」と説かれています。

「老心」西古孝志(P,26)
 「老心(ろうしん)」
 これは、永平寺を開かれた道元禅師が書かれた「典座教訓(てんぞきょうくん)」に出てくる言葉です。
 「親切心」または「思いやり」という意味です。私は、茶道の中で「老心」とは何かを学びました。
 私の地元、島根県の出雲地方はお茶の盛んな地域です。 松江城の殿さまであった、松平不昧(ふまい)公の言葉に、「客に恥ずかしい思いをさせるということは、亭主の心入れの足りないことと思いなさい。客の心になって亭主をし、亭主の心になって客をしなさい」という教えがあります。

posted by 正翁寺 at 17:07| 日記